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世界文化遺産としての鎌倉―総括

 「鎌倉のまちづくり まとめ 壱」では内タイトルを「鎌倉の歴史まちづくり 新編」とし、人々の営為に常に時の推移がつきまとう、という指摘から始めた。そして、歴史家に重要でない事物=忘れられてゆくものは多いが、それらも関係する人々には貴重で「市民のまちづくり」では、「忘れられそうだが大事なもの」を気付いた者が示し、それを同じ風土に生きる者たちが考えに入れて、まちづくりをしていけることを確認している。同時代同風土に生きる者たちの言葉によってまちのイメージを見出し、一筋の糸を過去から今日そして次の時代へつなげていく作業が「市民参加による歴史まちづくり」となろう、と述べた。また「時代」によるまちづくり模様を描き、それらを現わす筋書きを作り実行に運んで行くための試論である、とも記した。 そして捉われない立場から考え、「まちづくりの方向や課題、手法など」をまとめ、状況をよく知る市民たちが、世界遺産登録活動などを契機によい町にして行く。鎌倉流の、居住と観光が両立する「歴史まちづくりの仕法書」をつくり、市内各地域の住民が満足して暮らしていける町をつくる。という期待を書いた。 

  昨日、市の世界遺産担当のところでまとめている推薦書用の、世界遺産の構成資産全体図の案を見ることができた。これまで何度か書いてきたように、当初すすめていた文化財保護法で守る「社寺地他の史跡」と国際会議を経て加えることになった古都保存法の「6条地区」を合せた、鎌倉駅風辺市街を囲み北鎌倉駅辺にまで到る丘陵エリアである。このエリアが「中世の日本を現実的に治めた武家政権・鎌倉幕府が立地した都の、遺跡・残されてきた場であり、国が今後も守っていくとした所」である。このエリアに当時の政権所在地の独特な在り方、造られ方が見られ、そこにおいて、その後の日本の独特な思想・宗教・アートの数々が始められ育っていったのである。 古都保存法の歴史的風土特別保存地区(6条地区)は日本の文化財行政が歴史的な場を保護して行こうと定めた文化財保護法の史跡を、まちづくり面からその風致を厳重に守るため定めた地区なので、当初は強いバッファゾーンという捉え方がされていたが、世界文化遺産の側の価値観からも、自然環境との密接さが特徴である日本文化発祥の場として、史跡とされる場と切り離しては考えられず、共に在ってこそ、世界の他の地にない「貴重な場所・サイト」となると考えられたのである。

 鎌倉を世界文化遺産にノミネートしようとしているのは、サイト(場、遺跡)としてであって、個々の記念的工作物や建造物群としてではない。したがって京都の金閣・銀閣や斑鳩の法隆寺、姫路城、そして白川郷や五箇山の合掌造り集落などとはカテゴリーが違うのである。もちろんモニュメントとしても十分資格のある鎌倉大仏や、禅宗寺院の特徴をよく伝える建長寺の堂舎群などもあるのだが、鎌倉の場合はそれらを包含した全体的なサイトが、顕著で普遍的な価値(OUV)を持つと主張できるのである。これまでも述べてきたが、世界遺産の観点では人文地理的価値を尊ぶところがある。文化遺産の「他にはない」と言えるところは風土的な特徴による部分が多い、と言ってもよい。

 これまでの記事でも指摘したように、三方山に囲まれた狭い場所に幕府を置き、考えられる限り小さな政府で日本全体を支配した機能的な武家政権の都跡は世界中でも独自な存在である。鎌倉幕府の独特な政治体制を編み出した源頼朝以下の武家たちの本拠地、日本のその後の思想宗教芸術の興隆を支えた僧侶たちが暮した地、その後の時代にも武家の古都・古社寺の地として尊ばれてきた場所、昭和に到りついに市民が力を集め武家の古都の風致を守りぬき、それを担保する法制定のきっかけを作った場所である。

 そうした場所が、「現存する、あるいはすでに消滅してしまった文化的伝統や文明に関する独特な、あるいは稀な証拠を示している」という、六つある文化遺産の登録基準の第三の基準に該当し、さらに独自の政権所在地として歴史的重要性を示す技術的集合や景観が見られる、と第四の基準にも該当する、としてノミネートされようとしているのである。もちろん六番目の基準「顕著で普遍的な価値を持つ出来事、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある」という基準にも該当するが、この基準はこれのみによっては世界遺産にノミネートできないので、鎌倉の場合は主に三番目、それから四番目の基準に合う、とした訳である。 

  「鎌倉やぐら紀行」でドナルド・キ―ン氏は、「今回あらためて鎌倉へ行ってみて分ったことは、それが、ただそれだけの距離の旅ではなく、何世紀もの旅だということだった。鎌倉の寺院とその庭園は古い時代のものではあったが、鎌倉の山々や木々はもっと古かった」と書いて、今回鎌倉の丘陵部を世界遺産にしようとする根拠をよく言い現わしている。「取り巻く丘がその効果の一部として大きな役割を果している」という感想・指摘もユニバーサルなものである。

 円覚寺の山門を二百年足らず昔に再建されたものだが「時代の古さは建築物の興味深さを計る唯一の尺度ではない。・・・その建てられている場所のせいで、はるかなる時代のものという印象を与える。その門が建てられている場所には、以前にも別の門があり、また以前にもさらに別の門があって、元寇のあと時宗が・・・霊をなぐさめるためこの寺を創建した時代にまで起源をさかのぼれる。・・・再建されたものだと聞かされても、鎌倉の寺院を眺めれば、必ずそうした昔がしのばれてくる。・・・新しい建物は、その土地の歴史とそれを囲む風景とを受け継いでいるのだから」と書いた部分は、まさに丘陵部を世界遺産に該当する「場所」として提出する意味を、よく伝えている。

「簡素な庭園と殺風景な敷地を有する鎌倉の寺院は、まったく異なった文化の産物である京都の優雅な寺院と著しい対照をなしている。訪れる人々に、快く迎えられていると感じさせようという努力は、あまり見られない。・・・鎌倉の寺ではまだ宗教が生きていて、博物館化していないことの証しなのだろう」という所見は第三の基準に関連するものである。

「そのころには、わたしの関心は鎌倉の建物よりもその環境のほうへと移り・・・建長寺で記憶に残っているのは柏槇(びゃくしん)という名の木々で、八幡宮では、実朝がその下で殺害されたと伝えられるイチョウの大木である」という記述は、遺跡地の風土と文化の関係・特性を言い当てている。「わたしの記憶にもっとも鮮明な跡を残したのは、建長寺の裏手にそびえる山の中腹に残っているやぐら群だった。・・・(昔からの石仏がまだ残っているやぐらが見つかり) そうした石像の芸術的価値を云々するのはむずかしい。・・・忘れ去られた武士たちの骨をいまだに見守っている石仏たちにその本来の場所で出会うことは、どんな博物館の展示品も及ばぬほどの感銘をあたえてくれる」という感想は、「場所」を世界遺産にすることの意義をよく分からせてくれる。

  鎌倉の丘陵エリアを「サイト」として世界遺産に登録しようという動きは歴史家にも重要事で、忘れられてゆくものとは反対の事柄なのだが、人の営為に常に時の推移がつきまとう歴史まちづくりを、市民が担っていく上では、「そのことの意味」を住民の言葉によって説き明かし、まちのイメージを明確にしていかなければならない。過去から今日そして次の時代へつなげていくために、鎌倉の世界遺産の性格を「市民参加のワークショップやシンポジウム」で明らかにしていく必要がある。この記事はそうした場での議論の材料を提供するために綴った。 

 これからノミネートしようとする鎌倉の歴史地区は、ヨーロッパや中国のそれが中心市街部であるのに対し、中心市街部を囲む自然丘陵エリアであり、これまで世界文化遺産となってきた多くの都市に比べると異色なものであり、鎌倉は新しいタイプの世界遺産ノミネートをしようとしているのである。市民が世界遺産登録活動を機に状況をよく知って、鎌倉をよい町にして行くことにつながっていくこと、それがこの記事執筆の目的である。

※次の図は検討用の構成資産等を示す平成23年2月現在の図である。 図の緑色の部分が「武家の古都・鎌倉」の構成資産。その周囲の太線内がバッファゾーン(緩衝地帯)である。

Apr14鎌倉の構成資産.JPG


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コメント 1

森

> これからノミネートしようとする鎌倉の歴史地区は、ヨーロッパや中国の
> それが中心市街部であるのに対し、中心市街部を囲む自然丘陵エリアで
> あり、
鎌倉城としての防衛構造、戦う砦としての構造それが機能して新田軍を数日引き留め、新田軍は城の防衛機能の働かない場所から攻め込んだわけですが、、、
その防衛機能の具体的な解説が見当たらない!
調べてないから切岸の全容も提示出来なかった??
考古学者に発掘して調べたポイントだけが提示された訳ですか?
誰の目にも調べれば鎌倉城の切り岸は判ります。
巨大すぎて調べる人が居ないだけ。
それこそ世界遺産ものです。
by (2014-08-20 10:41) 

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