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槇 文彦「漂うモダニズム」-言葉、風景、集い 他

 五月末に「りんスポ」(大阪府立臨海スポーツセンター)を訪ねてきた。槇さんに建って大分経つ今の状況を見てきてほしいと頼まれていた。府の財政再建プロジェクトで存続が危ぶまれていたが、継続を熱心に望む市民たちの活動も続いてきた。昨年には耐震・老朽化対策に必要な3億円の半額を募金する運動が繰り広げられ、最後に大口の匿名寄付もあって目標額に届き、今年2月に府知事に1億5千万円が渡され存続が決った。

 槇事務所の仕事で独立直前に設計・監理に携わったのだが、このようにコミュニティに愛されて残ることになった作品に40年ぶりに再会し、支援する会の高林会長からは皆さんの情熱的な取り組みについて聞くことができて、幸せな旅行体験になった。

 高林氏は戦国時代に遡る大庄屋家を受継いできた方で、こういう人が市民活動に携わる畿内の市民社会の層の厚さも実感できた。重文指定を受けたご自宅も拝見でき、利休ゆかりの南宗寺や仁徳天皇陵も見てきたが、それらについては他の機会に譲る。この「りんスポ」の保全運動に際し大きな力になったのは、一番大きいアリーナが、通年で使えるスケートリンクだったからのようである。ここを練習拠点にした高橋大輔選手らが核になり日本のアイススケート会も加わり、マスコミを巻き込んだ大きな保存活動が展開された。

その一方で、会は独自の赤字解消案を出し、議員折衝や地元自治体への協力依頼も行い、府教育委員会と地道な折衝を続ける取り組みをしてきた。そうした情熱がすべて集まり実って、最後に良い結果を得ることができた。

 

さて以上迄はじつは前フリ、このブログで書こうとしたのは帰鎌してから標記の本を読み味わったその内容(の一部)である。本はこの3月に左右社から発行された。

さすが国際建築家・槇先生が書かれた評論集で、そこには私がこだわり考えてきた結果身についた考え方や感覚が、さらに大きな視点から上手くまとめられている。

書名の右に付したのは、三田評論の2012年十月号に載った評論のタイトルである。そこには更に「日本の都市・建築の近代化の中であらわれた特性」という副題が付いている。

グローバルな観点から「日本社会のモダニズムがどうなってきたか」を論じている。   Ⅰ[言語と建築]〈歴史上、人の定住とともに無数の「母語」が各地にあったが、やがて強い母語が弱い母語を吸収し「普遍語」が生まれてきた。それらは知識階級により作られ、維持されてきた。それは絶えず進化し、洗練されていき、他の人を説得し感動させることが出来るようになり強力な武器となった。ラテン語やサンスクリット語、アラブ語、漢語などであるが、上記の進行を建築の世界と比べると面白い類似傾向がある〉という。

〈ローカル・土着の建築は、そこに住む人に合った形式で作られているが、やがて普遍的な型が生れてくる、社寺・教会・モスクなどの宗教建築がその最たるものだが、言葉同様に絶えず進歩し洗練されていき、様式をもった建築が生れてくる。そこにはプロフェッションが誕生し、「知識階級による経験・知識の囲い込み」が進行する。そうした二項関係は十七、八世紀まで続くが、産業革命を経て国家が誕生するとともに「国語」が生れてくる。そこでは権力側の知識階級が、普遍語を積極的に自分たちの母語に取り入れ「国語」をつくった。(参照:B.Anderson, Imagined communities,1983

建築の世界では、様式建築で用が足りたこともあって国民建築はあまり流行らなかったが 、古い建築スタイルに代って「モダニズム建築」が登場してきた。これが二十世紀の「普遍語」になった。

いま私たちはモダニズム建築に囲まれ暮しているがグローバリズムが建築界に強い影響を与えてきた。モダニズムは「進歩」を重要な駆動力にしていたが、いまや何を進歩とするかわからなくなってきた。かつては「みなが大きなボートに乗っていて、そこにライトもコルビュジェもミースもいる」という時代があったが、いまや建築家がみな大海原に放り出され、個々に泳ぎつつどうしたら沈まないで済むかを考えている、という状況になってきた。しかし、日本のように外から侵略されずに一つの文化を醸成してきた国は、他国に比べて独特のものをずっと持ってきたし、作ってきたのではないか〉と述べ、「理性と感性」とが調和する日本建築への世界的な注目を説明している。

〈日本の近代語の特徴の一つは漢字と仮名の併用にある。水村美苗「日本語が亡びるとき」は日本の近代語が優れているんだ、という動機から書かれた。内田樹は、漢字は表意文字で仮名は表音文字、我々は日本語を使うときこの二種の言葉を頭の中の二つの袋に入れ分け、しかも一緒に使う、と説く。(日本辺境論)

 日本の近・現代建築は、いわば理性の袋と感性の袋との間でキャッチボールをしつつデザインされている。そのような理性と感性のバランスから優れた建築が生れてくる。日本の建築教育システムも近代化に寄与した、東京大学の造家学科はドイツの工科大学のシステムを入れたが、同時にイギリス人のJ.コンドルも採用し、デザインとエンジニアリングの双方がある学校となった。もう一つ大事なことに、築地ホテルを設計した清水喜助のような工匠の存在もある。また、造家学科第一回生の辰野金吾はコンドルの紹介でイギリスの建設業者(T.キュービット)のところに留学した。以上のような諸事実を背景にして、日本の現代建築は形づくられている。建築の設計はだいたい少人数で行うがその際、日本人の阿吽(あうん)の呼吸も一つの武器になっている。

 日本の近代建築が最初に世界から認められたのは坂倉順三設計による1937年パリ万博の日本館(万国博最高大賞)だが、そこには理性と感性の見事な統合、また日本的な感じもある。その後丹下世代を経て世界に注目される優れた建築が次々と日本でつくられてきた。

ヨーロッパ文化は理性が勝つが、日本文化は感性面が強い。〉

[ 日本の自然・風景と建築] 〈日本の建築のあり方には自然が非常に深く関係してきた。自然と融合する文化である。多くの建築は「水平性」を強調し、穏やかな自然と調和している。

「奥」という言葉は「見えない中心や、・到達点」に対して使われることがあり、神社などの本体はなかなか姿を見せてくれない。ヨーロッパで都市の真ん中に教会があり、尖塔が遠くから見えるのとは対照的である。

京都の町屋でも細長い敷地の中に小さな庭を作り、最後に奥座敷がある。小さな場所でも、奥の概念によってそこに深みを与えるのが日本文化である。要約すれば日本は「包み込む」文化で、中心に向い多くのひだが形成されていく。ヨーロッパでは中心にいちばん大事なものがあり、それを守るために城壁などをつくり町が出来てきた。

日本での空間の成立には「個から全体へ」という傾向が強い。外国のつくり方が全体像を描き、最重要なものから次のものへ、と理性的にいくのとは異なる。日本では「個」を繋げていき、やがて全体像が見えてくるという方式が採られる。その結果「非対称の美学」のようなものも獲得されてきた。

日本では「個」を繋げていく「間合い」も大事にされる。「間」と「奥」の二つは日本の都市や建築における重要な空間概念として、今でも残っている。

形というと屋根形式などを思い出しがちだが、むしろ空間の形式・上のような特徴が、これからの日本の建築・都市文化を紡ぎ出していく上で重要な役割を果たすと思う。さらに、桂離宮に見られるような「回遊性」も日本建築の特性として挙げられよう。〉

回遊性に関しては、私が若いころ研究した清水寺境内でも、その存在を明確に読み取ることができる。

[ 集い、ターミナル文化の発展] 〈江戸では「名所」が、コミュニティー・センターのような機能を果していた。花見の名所や神社の境内などである。いまの東京の集いの場所としては「駅ターミナル」が挙げられる。日常生活での集いの場として、今の日本人の生活を支えていると思う。

 今の東京は、山手線と中央線によってつくられた街だといっても過言ではない。オースマンがナポレオン三世のもとで新しいパリをつくった時は、視覚構造・フォーカルポイントを意識して全体をつくり出したが、日本の場合は、基本的に鉄道網がまちの骨格をつくってきた。

 山手線や中央線は谷の部分を通ることが非常に多い。東京は一千万人を超すメガロポリスだが、非常にうまく機能している。山手線の外側には、多くの私鉄がそれぞれ路線網を放射線状に延ばし、それらはリンクされていて、全体として非常に機能的なネットワークが形成されている。東京、品川、渋谷、新宿、池袋、上野など、幾つもの結節点が形成された。それらのターミナルと、その周りにいろいろな施設が出来てきて、一千万以上の人の生活を支えている。これから高齢化が進み、老人が自動車などを使えなくなってくると、いまの駅々の間にもう一つ駅をつくり、車なしで生活できる街をつくろうという計画が、建築家や都市計画家のあいだで語られている。日本のような高密度社会での今後の課題は、せっかくつくった鉄道インフラストラクチャ―を国や自治体がはたして将来も保持していけるか、ということである。〉

[ 「優しさ」の文化] 〈「言葉」、「風景」そして「集い」において何が共通したキーワードかというと日本の文化に存在するある種の「優しさ」を指摘できると思う。自然もそうだが、言葉にもなにか「優しさ」のようなものが存在している。鉄道網も、そこで一刻を争う人々がスムースに行き来出来ることの基に「優しさ」の存在があると思う。日本のターミナルは清潔で案内も丁寧で、親切なものが非常に多い。そのような「気配り」的なものが、建築や都市に常に必要だと思う。日本の都市は、ロンドンやベルリンのような整然とした町並をもっていないが、細かいところへの気配りがまちを住みやすくしている。私たちの文化の中で、「優しさ」は非常に大事なものの一つである。〉

 以上に紹介した日本や東京のまち・建築・文化に関する指摘・意見などは、外国の生活や仕事を十分体験し、いまも世界中さまざまな国の建築を手がけている建築家・槇文彦が実感に基づいて発したものである。

鎌倉のまちづくりを考える上で、納得できる箇所や参考にしなければならないところがとても多かった。


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コメント 4

まちもり

これは書評じゃなくて、本の紹介ですね。ぜひ楽雄大人の評論を読みたいと存じます。

by まちもり (2013-06-12 20:33) 

山上楽雄

 どこかに書評という言葉を使っていましたか?
ブログをする前、文学ノートを記していました。
 私のブログの本の紹介は他もみなそうだが、読書記
なのです。近しい人の集まりで話すようなとき、槙さんも
「こう言ってる」を、長々と話すのも具合悪いようなとき、
「山上記に書いてあるから」と済ますためだったり、年と
ともに衰える記憶をカバーしつつ書き物をする際に使う
ためのものなのです。
 槙さんについての私の印象は「やはり先生だなぁ、です。
人の言葉などを隔てなく、よく取り入れてくれて、まちがい
のない方向を示してくれる方です」。

by 山上楽雄 (2013-06-13 06:12) 

まちもり

FACEBAKAに「山上楽雄 記に槇文彦「漂うモダニズム」の書評を載せました。」とありましたので、期待してね。書物紹介もいいけど、ぜひ書評を読みたいのです。
そういえば、facebookにコメント載せた「増田さん」は、ずっと以前に横須賀のことで一緒に仕事した人ですか。

by まちもり (2013-06-13 13:04) 

山上楽雄

 Face B.で書評と言っていましたか、失礼いたしました。
槙さんのもとの文章は、講演が元になっているため、文化を論じるのにはよいのかも知れませんが、まちづくりに関心がある人たちには、寄り道が多いと思われるかな?と感じ、このブログぐらい端的な物言いに直してみたらと思い、取り上げたこともあります。(弟子の出過ぎたお節介でしかないのですが)
 増田さんは前に都市マスを考える会で付き合った若者世代で、ユニテの小宮山さんの所からフランスに行ってきた赤堀忍さんの事務所で建築修行を始めた人で、あの増田さんとは別人です。
by 山上楽雄 (2013-06-14 01:07) 

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