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ロバート・シャーウッド/村上光彦訳「ルーズヴェルトとホプキンズ」

 今回はファーストハンド読書記である。一ヶ月程前に仏文学者村上光彦先生の夫人が出版社の未知谷を通じ送ってくれた、1300ページ近い大著である。奥付を見ると522日印刷、610日発行とあるので、印刷されて直ぐに送っていただいたことが判った

 先生は昨年5月に亡くなられたが亡くなる直前まで生涯つづけてきた訳書をつくるのに熱中されていたので、妻の村上葉としては、若き日の出発となったこの大作品を再版し、訃報のごあいさつとしたい旨の短い文章が添えられていた。

 頂いてすぐに出したお礼状には、私のブログで是非とも紹介させて頂きたいが、何せ大著なので掲載までに少々時間がほしい、と末尾に記しておいた。

 村上先生は、前の改築時に大きな役割を果たした「御成小学校移転改築を考える会」の世話人代表を長く務められてきた方であり、また鎌倉の世界遺産協議会の理事もされていた方であり、御成小講堂の命運が岐路に差し掛かっている今日この頃に、この本の読書記を綴ることには因縁を感じざるを得ない。

 

 さて、第二次大戦で日本が真珠湾に奇襲をかけた昭和16年の初めに生まれた私などには、アメリカ大統領のフランクリン・D・ルーズヴェルトの名は親しいものがあるが、ホプキンズの方はWho's Hopkins?であったし、大方の日本人も同様であろう。

 本の中からの記述を拾って紹介すれば、彼はルーズヴェルトの側近の中の無任所閣僚、文官幕僚、特殊な利害や偏見から開放された政策顧問、のような人物であった。その立場は法的には決して位置づけられなかった。

 別の記述には、「米国政府のうちで二番目に重要な人物が、世界最大の戦争の最も危機的な時期を通じ、合法的な官職もなければ自分のデスクも無かった。ただ寝室はホワイトハウスにあった。彼は政策を立案して、それが正しいことを大統領に納得させたのではなかった。彼は黒幕から操るという役割を試みるにしては、知性もゆたかすぎたし、上長への尊敬もありすぎた。大統領がみずからのために設定したゴールに到達するための最良の手段を検討する際に、その検討のための反響板を提供すること、これを彼の仕事にしていた」とある。

 対するルーズヴェルトは、彼の政策を知らせたり実行するにあたり、「演説」-具体的な声による訴えかけ-を非常に重視した政治家であり、そのために入念な準備をした。「ルーズヴェルトはその鋭敏な歴史感覚によって、それらの言葉のすべては彼が後世にのこす大量の遺産を形成するもの彼の大いさを究極的に測定する尺度は、言ったことと実行したこととの一致にあるのだということを知っていた」という記述も見られる。

 本書の著者ロバート・シャーウッドは、ホプキンズなどと共にルーズヴェルトの演説草稿を練り上げ、まとめるために夜を徹して働いていた人物である。

 

 本の構成は、第一部一九四一年以前、第二部一九四一年、第三部一九四二年、第四部一九四四年、一九四五年となっている。第一部はルーズヴェルトがニューディール政策を実行する中で、ホプキンズが認められ商務長官として活躍するあたりのことが記述されている。

 さて私はもちろん一九四一年から読み始めてみた。中の「ダウニング街十番地」には、ホプキンズがヒットラーのドイツ軍に空爆されているロンドンに、大統領の個人的な代表者としてチャーチルに会いにいった顛末が綴られているが、イギリスの首相は彼の洞察力と率直さを即座に認め、滞在時間のほとんどの時間を費やし、彼に対独戦の状況を掴んでもらおうとした

 ウィンストン・チャーチルにとってホプキンズが気に入ったわけは、当面の問題に入りこむときのスピード記録をすっかり破ってしまえるという、能力にあった。チャーチルは「実行権のある重要な人物が集まった大会議に今まで数回出席した。討論がおとろえて全員が行きづまったように見えるとき、ホプキンズはふいに重大な質問をもちだすのであった。『大統領、たしかにこれこそまとめてしまわなければならない点です。』われわれはつねにその点に立ちむかったし、いったん立ちむかえば、それを征服したのである」と語った。

 さらに別のときには、彼は「ハリー!この戦争が終ったら、陛下の政府は君に貴族の称号を授与して、それで君への報章にするだろうよ。われわれはもう称号を選んでしまった。『問題の根本卿』と名づけられることになっているんだ」と言ったという。

 ホプキンズにはルーズヴェルトやチャーチルが持っていたような幻視力や歴史感覚は無かったが、彼はそういう「話し屋」ではなくて「実行屋」だと自負していた、という。

 

 さてこの読書記も山上楽雄 記としては長すぎる部類に入っていきそうなので、今回のところはホプキンズの人物像を紹介することだけに止めることにする。

 

 もちろん、真珠湾への奇襲が、戦争に引きずり込まれることを怖れていたアメリカ国内の世論を一気に対日戦に向かうものにしてしまったとか、大恐慌から第二次大戦をうまく処理しおおせたルーズヴェルトの人柄とか、彼とチャーチル・スターリン三者が協力してヒットラーに立ち向かった模様とか、ヤルタでの三者会談の中から戦後の国連の実体が生まれてきた経緯とか、この本から我々はさまざまな事実を知ることができる。読む人それぞれが異なった箇所から感銘を受けることが出来るであろう。

 

 本の箱のカバーには「訳者あとがき」からの引用文、「本書については批評家たちが一致して推奨のことばを述べている。『ニュー・センチュリー固有名詞辞典』には、この書物について「第二次世界大戦史研究のための基礎的労作」と記されている。また、ジョン・ガンサーは『回想のルーズヴェルト』のある箇所で、本書を評して「FDRについていままでに出たもっともすぐれた著書である」と語っている。

 ここに訳者自身の感想を付け加えるなら、この著書のすぐれた特質は歴史の中で人間を捉えたことにある、と言ってよいように思う。あるいは、人間の眼で人間の行為を見ることによって歴史を捉えたと言うべきであろうか。」 などと記されている。



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