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田村隆一「土人の唄」を読んでいる

 7月に入り御成の講堂問題がようやく動き出し、夏休み中にアスベスト含スレーを撤去し、とりあえず雨漏りのしない仮屋根を葺くことになり、その後に講堂をどう修復するかが焦眉の急になってきた。保全活用をめざす会も急遽830日にシンポジウムを開くことになり、その準備に、また甲斐大泉のミニ天文台の現場の最終処理追われている。そんな中、立ち寄った図書館で標記の本に出会った

 田村さんは「人を造形する」の終りにふれたが、晩年に鎌倉で格好良く酒を飲んで、われわれ相客を喜ばせる話をしてくれていた。保存・活用のように人毎に異なったイメージが有り、政治的な思惑も錯綜する問題に関するシンポの準備をはじめあれこれの話を進めているといつの間にか頭が硬直してきてしまう。そんなおり、田村さんのエッセイを読んだら頭をほぐされるだろうと、つい手が出てしまった。

 読み始めてみると、詩人特有の理屈/感覚/見通しなどが面白い。私の仕事や趣味に関係するエッセイが二篇並んであらわれた。内容は以下のようである。

 

ABC」(あなただったら、どんな雑誌をつくりたいかの問答)

 A 雑誌のタイトルは?:「蛇よ」にしたい。蛇のように慧くあれ、という聖書の言葉からのヒントを受けた

 B 編集方針は?:を中心とした都市空間の創造です。不幸にして、近代日本には、都市化現象はあっても、人間の生活をゆったりとつつみ、個人の内なる諸能力を活性化する「都市」を創造したためしがない。思想も詩も一過性のもので、ファッションにすぎない。 ファッションですら、画一的で、個性とハーモニイに欠けている。戦後四十年しかたっていないのだから、戦後のひらかれた社会とその文化の花が開くためには、すくなくとも、戦前派、戦中派がこの世から消失しなければならない。せめて、都市空間を耕し、種子をまくのが先行世代の仕事だ。その仕事を、雑誌を出すなら、毎月、創刊号を出すつもりで、やってみたらどうだろう。(以下「創刊号だけは売れる」 「グラビアばかりの号、8ポ三段組イラスト等一切なしの号」 「諸外国の政治家の危機に遭遇したときのステートメント、そのリズムと政治的意味の分析」 等々さまざまなイメージを挙げる)

 C 文学賞は?:毒蛇賞、青大将賞など如何? とにかく文化の花が開かなければ実も結ばないし、デカダンスもない、そんな文化は、都市化現象と同じように、文化化現象にすぎない。昭和四十年代生まれの大学生たちは、太平洋戦争で日本が勝ったと思いこんでいるのが多いそうだ。半導体からはじまる戦後「文化」のおかげで、アメリカは対日貿易赤字で苦しんでいるんだからね。

 

 1984年から85年にかけて「ユリイカ」に載せたものの一つだが、その頃の雑誌インタヴューに応える彼独特の姿勢、スタイルが窺えて面白い。われわれの世界で都市空間を言い出したのは1970年代のちょっと前だったが、この言葉を新鮮に人間化して使ってくれている

 

 次の「日本語の読める人間」は、D.キーンさんの「百代の過客」を読んでいて芭蕉の詩的体験の鮮やかさに打たれた話。(多賀城の「つぼの石ぶみ」の辺) ・・・とキーン氏は引用して、芭蕉が山河の永遠性を否定し、同時に永久に生い代わる木々に表れた永続性に疑問符を打つのを見て

、つぎのように書く『国破レテ山河在リ]の言を彼(芭蕉)は疑ったのである。多賀城もなく、それを取り巻いていた風光も、昔の姿を全く留めないのに、『壷の碑』は、今も見ることが出来る。同じように、そこに描写された景色はすべて、見る影もなく変貌したというのに、世に日本語の読める人間が存在するかぎり、『奥の細道』は残るであろう。(下線田村)

 

 詩人、俳人、歌人には言葉が命。 建築家、まちづくり人には都市空間が大事・・・か。


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