So-net無料ブログ作成
検索選択

沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社 2013年刊)-1.

 このところ毎朝読む新聞小説が沢木のもので、そのタッチの明るさ・爽やかさが気に入ったので、何かもう一冊、と図書館で探したら標題の本が見つかった。はじめは、キャパを描いた本があった筈と探したが、そちらは貸し出されていたため、このタイトルだけで借りてきた。

 家で開いてみたら何と藤圭子へのインタビュー記録だった。実は彼女が引退した年1979年に行ったインタビューを一まとめしたものだが、そのまま公刊するのに作者が疑問を持ち保留していた。その後彼女の自死を知り、また発表された宇多田氏やヒカルのコメントなどにはあき足らず、藤圭子の稀有な心の素直さや清潔さなどを伝えたい、と思い立ち出版されたものだった。沢木と圭子の感性がみごとに触れ合い、各ページに彼女の真の姿・人生軌跡などが印象的に浮かび上がってくるインタビュー記である。

 本の末尾、沢木は[この作品で取り上げた主人公について、本文ではいっさいその外貌が描かれていない。…しかし、その制約がなかったとしても、私にその美しさを描き出すのことができたかどうかわからない。しかも、美しかったのは「容姿」だけではなかった。「心」のこのようにまっすぐな人を私は知らない。まさに火の酒のように、透明な烈しさが清潔に匂っていた。だが、この作品では、読み手にその清潔さや純粋さが充分に伝わり切らなかったのではないかという気がする。私はあまりにも「方法」を追うのに急だった。だからこそ、せめてタイトルだけは、『インタビュー』という無味乾燥なものではなく、『流星ひとつ』というタイトルをつけたかったのだ。それが、旅立つこの作品の主人公に贈ることのできる、唯一のものだったからだ。]と記した。

 

 インタビューは79年の秋にホテルニューオータニの40階にあるバー・バルゴーで実施された。本の目次によれば、会話は 「一杯目の火酒」、「二杯目の火酒」、「三杯目の火酒」、「四杯目の火酒」、「五杯目の火酒」、「六杯目の火酒」、七杯目の火酒」、「最後の火酒」と進んでいき、作者の問いや感想にほだされ、答えつつ彼女の人生・生活・男女関係・心模様などが明かされて行く。二人が注文したのは、レモン付きウォッカ・トニックである。

 「一杯目」ではまず、週刊誌等の通り一遍の質問しか出てこないインタヴュウ―の馬鹿らしさに嫌悪が示されるが、作者は彼女の話を熱心に聞こうと「すぐれたインタビュアーは相手さえ知らなかったことをしゃべってもらう」と言うが、「知らないことなんかしゃべれないよ」と返される。…「とにかくあなたが、芸能界を引退するのは確か十年間、いろいろと生きてみて、どうでした?」には、「やっぱり面白かったと思うな。見ようと思っても誰でも見られる世界じゃないしね。面白かったよ」と言う。そして引退するのは、「歌手とは違う人生を生きてみたいっていう…でも、それじゃあ、どうしても信じてもらえない…誰も人のことなんか、本当にはわからないんだ」と言う。続いてさまざまと、メディアや芸能界の人々の固定した、地の悪い見方が語られる。

…あなたは、まことに凄まじい時間をくぐり抜けてきた人なんですね」 「別に大したことじゃないよ、読まなければ腹も立たなくなるよ、そのうち…前川さんと離婚した時も、絶対に読まないって決めていたの。…」「(ある筈のないようなことが―)いつか本当のように言われたりするんだ」―嘘をつくのがいやで、いつも本当を語ってきたので、「お母さんが目が見えないということも、両親が旅芸人の浪曲師だったってことも、みんな本当のことだから恥ずかしがることはないと思ったし、貧乏だったということも、あたしが流しをしてたってことも、みんな本当のことなんだから、恥ずかしくないと思ってた。でも隠しておくべきだったんだろうな……」 …「たとえばさ、あたしの歌を、怨みの歌だとか、怨歌だとか、いろいろ言ってたけど、あたしにはまるで関係なかったよ。あたしはただ歌っていただけ」…「何を考えながら歌っていたのかな」 「何も」 「何も?」 「ただ歌ってた」 「何も考えずに、何も思わずに?」 「うん」 「…何も考えてなんかいないのに。親子二代なんだよ、この顔は」 「親子二代とは面白い。……いつも楽屋なんかではどうしているの?」 「黙ってる」 「どうして?」 「つまらないから」 「…本を読んでるか、寝てるか、付き人の艶ちゃんと少し話すか……」 引退→「別に、何でもないよ。……でも、とにかく、いくらお金がなくても、平気、あたしは」

 このあと昔沢木が偶然、パリのオルリー空港ではじめて圭子らと出会った辺の話が挟まった後、「二杯目の火酒」へと移り彼女の生い立ちがいろいろ語られる。破天荒な父親のことや母さん子だったことなどが話題に上がり、次の「三杯目の火酒」へと進む。

 そこでは八洲秀章の勧めで、旭川の中学を卒業しそのまま東京に向かい、母親と共に西日暮里にアパートを借り暮しは

じめてからデビューまでの日々、彼女を売り出した沢の井氏との出会い、金はまるでなかったが結構楽しく暮らしていたことなどが語られる。その先にRCAからのレコードデビューが来る。

「女のブルース」…「冴えておりましたね、石坂まさを氏、は」 「そうなんです。冴えていたんです。‐何処で生きても 風が吹く  何処で生きても 雨が降る  何処で生きても ひとり花  何処で生きても いつか散る‐ほんとに……何処で生きたって、いつか散るんだよね……」 「ぼくは、やっぱり〈女のブルース〉で好きになったんだろうな藤圭子が。しかし、どうして、すぐ追いかけるように〈圭子の夢は夜ひらく〉を出してしまったんだろう」 「〈女のブルース〉が最高に売れているとき、〈圭子の夢は夜ひらく〉を出してしまったから、歌えなくなっちゃったんだよね。〈女のブルース〉が。…もっと歌いたかったけど、短かったね。普通の人にとっては…どちらかといえば、印象が薄いらしいんだよ。それが、とっても残念なんだ」 「〈夢は夜ひらく〉の二番の歌詞、あるでしょう? ‐十五、十六、十七と  私の人生暗かった  過去はどんなに暗くとも  夢は夜ひらく‐ この歌詞に抵抗感はなかった?」  「なかった」  「これ、自分のことを歌っているとは思わなかった?」  「思わんかった。ただの歌の、ただの歌詞だと思ってた」  「でも、聞く人は、その歌詞をあなたそのものに投影して、感動してたわけだよ」  「人がどう思おうと関係ないよ」  「食べて、生きてこられたんだもん、それが暗いはずないよ」  「あなたは……実に意地っぱりですね。呆れるというより、感動するくらい」  「フフフッ。そんなに意地っぱりかなあ、あたし」  「それがあなたの身上なんだろうな。それがあったから、あなたは藤圭子になりえたんだろうから。…」  「昭和四十四年の九月に藤圭子は〈新宿の女〉でデビューして、四十五年の二月に〈女のブルース〉、四月に〈圭子の夢は夜ひらく〉、そして七月には〈命預けます〉まで出している。四十五年というのは、あなたにとって、本当にすごい年だったんですね。〈命預けます〉だって、悪くない歌だもんね」  「そうだね」  「これも、石坂まさを作か、……。藤圭子という素材を得て、持っているものが一気にバッと爆発したんだね、石坂まさを、こと沢の井さんも。わずかその一年のあいだに、ね」  「そう、一挙に花ひらいたんだろうね」  「それが過ぎて……枯れてしまったというわけか」  「そういうことなのかなあ」…「しかし、一九七〇年というと、ぼくが大学を卒業する年だったけど、ほんとに、この年はあなたの〈圭子の夢は夜ひらく〉の年だったなあ。 ‐前を見るよな 柄じゃない  うしろ向くよな柄じゃない  よそ見してたら 泣きを見た  夢は夜ひらく‐ これを聞くと、ぼくにも、よぎるものがある。何だか、はっきりはわからないけど、体の奥の方から泡立つようなおのがある」  「そう……」

 「四杯目の火酒」では、まず前川清との結婚・離婚、前川との友達性の強い関係、彼を尊敬ることなどが語られる。彼との結婚は沢の井に営業ネタで週刊誌に売られた結果で、前川のことは兄のように感じていたという。

 その後、「あたし、二つの歌を殺してしまったんだ。自分の歌を自分の手で。とても素晴らしい歌を、自分の手で死なせちゃったの。生まれてまもない……歌が歌手の子供だとすると、自分の子を殺してしまったわけ。駄目だよね。歌手としては、なっちゃないよね。ほんとに馬鹿だよね」と言う。ひとつは〈恋仁義〉、前川と婚約している時期、惚れていながら身を引く心、という歌詞が白々しすぎると感じ歌えなかったという。知られている曲でもないのに、今でも聞く人が喜んでくれる歌だった。もう一曲は〈京都から博多まで〉に続く、阿久悠作詞の第二作〈別れの歌〉、これは歌を出して一か月後に前川と離婚してしまい、「いかにもぴったりしすぎるじゃない。〈別れの歌〉だなんて。そんなこと思いもしなかったけど、宣伝用の離婚だなんて言われて、口惜しくて口惜しくて、それならもう歌いません、という調子で歌うのをやめてしまったの」  「馬鹿ですねえ」  「ほんと馬鹿なの。でも、やっぱり私には歌えなかったよ。だって、四番なんて、こんな歌詞なんだよ。 終着駅の 改札抜けて  それから後は 他人になると云う 二年ありがとう しあわせでした…… 後見ないで 生きて行くでしょう こんな歌詞を、離婚直後に、沢木さんだったら歌える?」  「どうだろう」  「歌手だったら、プロの歌手だったら、絶対に歌うべきなんだろうけど。あたしは駄目だった。駄目だったんだ……」  「結婚と離婚という、女性にとっての曲り角に、そういう歌がやって来るという巡り合わせになってしまったところに、あなたの歌手としての運命があったんだろうな。なにも、そんなときに、よりによって、そんな歌が、しかもそんな歌詞で、できてこなくてもいいわけだからね。それに、あなたがそんなあなたじゃなければ、それを歌い続つづけて、大ヒットさせたかもしれないしね」  「その二曲を殺さないで歌ったからといって、ヒットしたかどうかはわからないけど、残念だなあ、もっと歌いたかったなあ、歌っておけばよかったな、という思いはあるんだよね」

 離婚の後にはぶらぶら遊んでいて、その間に両親の離婚があり、ここでも週刊誌にいろいろと書かれたが、よく耐えて、頑張ってきた。「あたしはね、ただお母さんとお父さんを離婚させてあげたかっただけなの」  「お母さんの望みだったから」 -続く-



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。