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沢木耕太郎『流星ひとつ』-2.

 このころ、NHK紅白の選に漏れて、圭子は荒れた。「…だったらこっちにもNHKを拒絶する自由があるじゃない。そうしたら、事務所の人やレコード会社の人がみんなで来てね。…そんなことをしたら芸能界で生きていけない、と…こっちから尻尾を振っていく方がよっぽど耐えられないよ。…そこで爆発してしまったわけ。どうして、あなたたちには意地っていうものがないの、って」  「あたしがマネージャーだったら、そうするね。藤圭子という歌手の性格をよく知っている、頭のいいマネージャーだったら、そうしてたね。あたしは、そこでガッカリしちゃったの。ああ、みんな、その程度の考え方なのか、その程度の仕事なのかって」  「どんなことでも筋は通すべきだと思うんだ」  「たとえ、それでメタメタになっても?」  「そんなことで駄目になるようなんだったら、その人に力がなかったということだけだよ」  「それにしても……仕事の話になると、ほんとにきつい顔になるね、あなたは」  「えっほんと?」  「うん、ちょっと、怖いくらいの感じになる」  「フフフッ」  「しかし、紅白歌合戦自体には、何の魅力も感じなかったのかな、あなたは」  「うん」  このあと沢の井氏から離れて新しい事務所に入ったが、行きづまりは解消できなかった。

 沢木は阿木燿子・宇崎竜童のコンビによる〈面影平野〉を、すごくいいと思ったが、ヒットしなかったと話し、なぜヒットしなかったのだろうと聞く。それに圭子ははじめ「わかんないよ」と答えるが、「あたしにはね、あの歌がそんなにいいとは思えない」「わからないんだよあの歌が」「…すごくいい詞だと思う。やっぱり阿木燿子さんてすごいなって思う普通の人には書けないと思う。…」「心がわからないの」と述べる。  「心?」  「その歌が持っている心みたいなものがわからないの、…あたしの心が熱くなるようなものがないの。…自信を持ってうたえないんだ。…結局、わからないんだよこの歌が…」  「そうか、〈面影平野〉はあなたの心に引っ掛からなかったのか」  「そうなんだ、引っ掛からなかったの。だから、人の心に引っ掛かかるという自信がないままに、歌っていたわけ。それでヒットするわけがないよね」…「仕方ない、うん」 と沢木は引き下がるさらに圭子「…やっぱり、藤圭子の力が落ちたから、かもしれないんだ」  「もう……昔の藤圭子はこの世に存在してないんだよ」  「どういうこと?」  「喉を切ってしまったときに、藤圭子は死んでしまったのいまここにいるのは別人なんだ。別の声を持った、別の歌手になってしまったの……」  「無知なために……手術をしてしまったからさ」 と重大な発言があって、この章は終わる。

 

 「五杯目の火酒」では喉の手術をした経緯、感慨などが詳しく記される。デビューして五年目ぐらいにどうしても声が出なくなり、忙しいスケジュールを空けて入院し喉ある結節を切除した。 「……声は昔からよく出なかったんだ。…ふだん話すときもほとんど声を使わなかった・・・もったいないんだよ。人とおしゃべりする声があったら、歌う声に残しておきたかったから。…無口だと思われていたのは、それもあると思う。…出ないのが普通だったんだ。その声を貯めて、それを絞り出していたんだよね。だから、一週間休んで出なくなったときも、そんなに慌てることはなかったはずなんだ。すこし休んで、また声を貯めれば、それでよかったんだよね。ところが……切っちゃったんだよね。早く楽になりたいもんだから、横着をして、切っちゃったわけ」  「思うんだけど、あたしのは結節なんかではなかったんじゃないだろうか」  「その手術が、あたしの人生を変えたと思う。…引退ということの、いちばん最初のキッカケは、この手術にあるんだから……」 手術後のレコーディングで、「…いざ歌い出したら、高音のところで、針がとびそうなくらい振れすぎちゃったんだよ」  「みんな、おかしい、おかしい、と言い出して、もう一度やるんだけれど、同じなんだ。高音が、澄んだ、キンキンした高音になってしまっていたわけ。あたしのそれまでの歌っていうのはね、意外かもしれないんだけど、高音がいちばんの勝負所になっていたの。低音をゆっくり絞り出して……高音に引っ張りあげていって、……そこで爆発するわけ。そこが聞かせどころだったんだよ。ところが、その高音が高すぎるわけ。あたしの歌っていうのは、喉に声が一度引っ掛かって、それからようやく出ていくとこに、ひとつのよさがあったと思うんだ。高音でも同じように引っ掛かりながら出ていってた。ところが、どこにも引っ掛からないで、スッと出ていっちゃう。前のあたしに比べると、キーンとした高音になってしまった……歌に幅がなくなったんだ。歌というより音だね。音に奥行がなくなっちゃった…」  「厚味がなくなってしまった」  「そう、そしてレコードに力みたいなものがなくなってしまったわけ」  「つらいのはね、あたしの声が、聞く人の心のどこかに引っ掛からなくなってしまったことなの。声があたしの喉に引っ掛からなくなったら、人の心にも引っ掛からなくなってしまった……歌っていうのは、聞いている人に、あれっ、と思わせなくちゃいけないんだ。…あれっ、と立ち止まらせる力が、あたしの声になくなっちゃったんだ」  「確かに、ある程度は歌いこなせるんだ。人と比較するんなら、そんなに負けないと思うこともある。でも、残念なことに、あたしは前の藤圭子をよく知っているんだ。あの人と比較したら、もう絶望しかなかったんだよ」  「…それは理屈じゃないの。あたし自身がよくないって思えるんだから、それは駄目なんだよ。だいたい、あたしが歌ってて、すこしも気持がよくないんだ」  「微妙なものなんだね、声っていうのも」  「そうなの。それなのに、そこにメスを入れっちゃったんだ。…本当はね、あたしの声が変わっちゃった、駄目になっちゃったということを、いちばん早く知ったのは、お母さんだったんだよ」  「…舞台の袖で聞いていたお母さんが、傍にいる人に訊ねたんだって、純ちゃんの歌をとても上手に歌っている人がいるけど、あれは誰かしらって、って。その人が驚いて、何を言っているんですお母さん、あれは純ちゃんが歌っているんじゃありませんか……お母さんは耳を澄ましてもういちど聞いたらしい。でも、そう言えば純ちゃんの歌い方に似ているけど……としか言えなかったんだって。お母さんは、その話を、最近になるまで教えてくれなかったんだけど、ね」  「一生懸命歌ってきたから、あたしのいいものは、出し尽くしたと思うんだ。藤圭子は自分を出しつくしたんだよ。それでも歌うことはできるけど、燃えカスの、余韻で生きていくことになっちゃう。そんなのはいやだよ」 沢木の本<敗れざる者たち> を例にとって「一度頂上に登ってしまった人は、もうそこから降りようがないんだよ。二つしかその頂上から降りる方法はない。ひとつは、転げ落ちる。ひとつは、ほかの頂上に跳び移る。この二つしか、あたしはないと思うんだ。」  「あなたは、勇敢にも、どこかに跳び移ろうとしているわけだ」  「うん」  「どこへ跳ぶの?」  「女にとって、いちばん跳び移りやすい頂っていうのは、結婚なんだよね。それが最も成功率の高い跳び移りみたい。でも、あたしにはそれができそうもないし……」  「じゃあ、どこに跳び移るの、結婚じゃないとしたら」  「笑わないでくれる?」  「もちろん」  「勉強しようと思うんだ、あたし」 という具合に話は進み、次の「六杯目の火酒」では、見る夢の話から、子供の頃やデビュー前の話、芸人の気持ちなどが語られた後、「デビューした頃のあなたは、無心で、しかもオドオドしていたんだろうな。それは……本当は……そんなに一致するはずのもんじゃないけど、それを共存させるものが、あなたにはあったわけだ」という沢木の感想が引き出され、さらに「あなたはもしかしたら、お母さん以外に、慣れた人間がいないんじゃないんだろうか。あなたという小動物が慣れた人間は、ひとりもいないんじゃないのかなあ。」と言われ、また、干支もうさぎと知られる。

 それから、「あたしは、お父さんが、ほんとに怖かった」  「カッとすると、何をするかわからない人なんだ。子供たちはみんな怯えてた。お母さんも、みんな怯えていた」ことも語られる。

 そして両親の離婚、その後の父親とのつき合い方なども語られ、最後に母親が圭子の歌を聞くのが大好きなのだが、手術後の歌には前ほどゾクッとしないようだ、などが語られ、また「会場に行くと、お手伝いさんと一緒に、チョコンと座席に座っていたりして。でも、あれはどうしてだろう、お母さんの姿が見えると、ジーンとして、歌いながら胸が熱くなってしまうんだよ」などの言葉が出て、次の「七杯目の火酒」に移って行く。

 そこでは、圭子の周りの事務所の営業や経営、金銭感覚、私生活の様子、男関係などが話されて、結婚を考えたこともあったなど、が明かされる。その中で印象に残る会話は、「……そうなんだ。あたし、ヒステリーを起こしたんだよね」  「あなたみたいな人でも、人並みにヒステリーを起こすんですか?」  「起こすんですよ、これが。すごいヒステリーを起こしちゃった」  「お母さん……びっくりしたんだって。血の気が引くような思いをしたんだって。そのヒステリーの起こし方がとてもお父さんに似ていたらしいの。そっくりだったんだって。ああ、この子にもやっぱり、あのお父さんの血が流れているんだろうか……」という部分だった。

 

「最後の火酒」 :もう一気にブログ紹介も終わりにしよう。 引退の、「記者会見じゃ、みんなからギャーギャーやられた?」  「そうでもなかったよ」  「テレビでみると、せきこむようにしゃべっていたようだったけど、上っていたのかな」  「どうだろう。あとでVTRを見てみると、どういうわけかニコニコ笑ってるんだよね」  「そういえば、テレビのキャスターが、こういう場面には涙がつきものなんですが、とか不満そうに言ってたなあ」  「新栄の社長がね、自分は反対していたが、こうして引退するということになってみると、むしろ嬉しいと言ってくれたの」  「その場で?でも、それはどういう意味?」  「社長はね、やっぱり引退は思いとどまらせようとしていたわけなの。だから、前から一度ゆっくり食事をしながら話し合おうと言ってたんだけど、いろいろの都合で会えないうちに、こんなふうになってしまったわけ。引退発表をしてしまえばおしまいだから、社長も迷ったと思うんだけど、こう考えたんだって。別にうちをやめてよそのプロダクションに行くというわけでもないし、歌手というのはいつまでもダラダラ歌っていって、みじめになっていつやめたかわからないような消え方をするのが普通だ。でも、純ちゃんみたいにまだまだ歌えるのに惜しまれながらやめていくなんて、こんな幸せなことはない。みんなそうしたいけど、できないままにぼろぼろになっていく。それなら拍手をして送り出そう、ってそう言ってくれたわけ。おめでとう、って」  「それはよかったね。少なくとも事務所の人たちは理解してくれたわけだ」  「まあ、ね」 

 記者会見後数日経って、タクシーに乗って、「運転手さんは個人タクシーのおじいさんだったんだ。降りる間際に、急に言い出したんだよね。あの、歌い手の藤圭子っていう子も引退するらしいけど、無理ないよな、やめさせてあげたいよな、って」  「あなたが藤圭子だっていうことを知らずに?」  「うん、ぜんぜん気がついていないの。あの子がやめたいっていうのは無理ないよな、ってあたしに話しかけるんだから」  「へえ。でも、それは嬉しかったね」  「うん、嬉しかった、とても」 

 以下、前川との関係 「前川さんはいいひとだよ、それに歌も抜群にうまいよ、あたしはそう思ってる。」  「日劇で歌を聞いて、そのあとで、前川さんと何か話したりしたわけ?」  「話したよ」  「どんなこと?」  「いろんなこと。あたしはもう歌をやめるつもりだとか……そのこと、まだ発表してない頃だったから」  「そんあことまでしゃべったの?」  「うん」  「そうしたら、彼は何と言った?」  「それはよかった、って」  「祝福してくれたわけなのね」  「前川さんはね、以前からやめろといっていたの。おまえは芸能界にはむかないからって」  「そうなのか」  「だから早くやめろといったろ、って言われちゃった。でも、あのときはそうはいかなかったんだよ」  「あのとき?」  「結婚したとき」  「なるほど、そうか、前川さんは結婚するとき、引退して家庭に入れと言ったのか」  「でも、あのときは家族のこともあったし。ようやく引退しても何とかやっていけそうになったからなんだと言ったら……困ったことがあったら、何でもぼくに相談しに来いよと言ってくれて……嬉しかったな」  「それは、よかったね」  「そのとき、前川さんにね、ぼくと別れてからあまりいいことなかったろ、と言われたから、うんと答えたんだ」  「そんなこと、正直に答えたの」  「だって、本当のことだから仕方ないよ」  「馬鹿正直ですねえ」  「ぼくと別れてからロクな男にぶつからなかったろ、と言うから、それもうんと答えた」  「前川さんの方が、ずっといい男だった?」  「うん」  「目がないあたしが悪いだけ」  「そういうのを、男運がないと言うらしいよ、世間では」  「うん、そうなんだ。いままでは、どうしても、芸能界の人しか知り合う機会がなかったけど……」  「これからは、違いそう?」  「うん、そう思っているんだ。大いに希望を持っております、なんてね」  「聞けば聞くほどやめる必要はない、と思うんだよね。もっと聞きたい、というかな。繰り返しの愚痴になるけど、続ければいいのに」  「いい加減な決心じゃないつもりだよ、あたし」  「それはわかってる。だからこそ、さ」  「いや、ここまで突きつめて、自分が決心したことだもん、戻れといっても戻れないよ、無理だよ」  「でも、歌を歌うには確かに口惜しいことだけど、切ってよかった、だから歌をやめてよかったという人生がこれから送れるかもしれないし……

 

 ・・・ 終りたい、と思ったが終れなかった。 結びをどこかで書かないといけないだろうなあ


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