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沢木耕太郎『流星ひとつ』-結

  前ブログ(-2)の最後の台詞は、圭子のもの印象に残る台詞を選び次々記録してきたのだが沢木の、「切ったことが、口惜しいわけだ」という言葉に応えたものだった。このあと、幾つかこのブログに残しておきたい会話を記してから、沢木の「後記」に移ろうと思う。

 「あなたは、一度、頂に登ったよね。その頂には、いったい何があったんだろう?」  「何もなかった、あたしの頂上には何もなかった…そこには、もしかしたら、禁断の木の実というのかな、そういうものがあったかもしれないんだ。下の方で苦労しているような人には、ほんと涎がでるような実があったかもしれないの。でも、あたしには、とうていおいしい味のするものとは思えなかったんだよ。…」 「ものわかりのいい、いまふうの、いい女のふりをしてれば、幸せなときが長く続くかもしれないけど、でも、そんなわけには、いつもいかなかったんだ」  「男らしい考え方だ……」  「それ、褒め言葉のつもり?」  「最上級の、ね」  「あなたの引退をテレビで知ったとき、星、流れるって、思ったんだ」  「流れ星。あなたを、流星ひとつ、と声に出して数えてみたいような気がしてね」  「流れ星か……あたし、まだ、見たことないな」  「だって、あなたは旭川で育ったんでしょ…空は澄んでいたでしょ?」  「さあ……どうだったかなあ」   「あなたは、子供時代、何を見ていたんですかねえ」  「何も見ていなかったのかもしれないね」  「これだからなあ、ほんとに参りますね。インタヴュアーとしては……」  「それがあたしの子供時代だったんだから、仕方がないよ」  「このあいだ、札幌で仕事があったとき、友達とあって話したの。もう歌をやめようと思うって言ったんだ」  「彼女たちは、何と言ってた?」  「よかったね、純ちゃん、もう十分働いたんだから、今度は純ちゃんの好きなことしなよ、って。…仲よく暮していこうよ、って。よかったね、いいじゃない、って言ってくれた」「嬉しかったなあ、ほんとに」  「でも、帰らないんだろ?帰らないでどうするの?」  「ハワイに行くつもりなんだ」  「ハワイでどうするの?」  「勉強したいんだ……英語を習いたいんだ」  「…耳にとても気持ちがいいんだ。とにかくひとつのことに熱中して勉強してみたいから……英語が少しでもわかるようになれば嬉しいというぐらいだけど、いい機会だからハワイに行って学校に入って、やってみたいんだ」  「そいつはいい、ぜひ頑張るといい」  「ありがとう」  「あたしね、阿部純子と藤圭子ということで言えば、デビューするとき、藤圭子っていう名前をもらったとき、生まれ変わったと思ったんだ」  「そうだね、その二つの世界を往き来するなんて器用なこと、本当はできやしないんだよな」  「そうなんだ、だから、あたし、その二つのうち、どっちかといrば、藤圭子の方を大事に思いつづけてきたようなんだ・・・」  「とすれば、やっぱり、緊張した、あの藤圭子の煌きは、失われてしまうかもしれないな」  「それは違うよ、歌をやめても、キッチリと生きていけば、それが顔に出ると思うから平気だよ」  「そうか、それならオーケーだね」  「いま、かりに、あたしが煌いていたとしても、自分で駄目と思いながら、人に芸を見せているのはよくないと思うよ。やめるべきなんだよ」  「やめるとなると、さみしい?」  「十年もやれば、いいよね」  「そうだね。次の何かをまた見つければいいんだろうな」  「うん、そうする。また……何か……」  「それでいいさ」 と。そして、二人はインタヴューの終りを祝し最後のウォッカ・トニックを空ける。

 

 「後記」

沢木耕太郎は 大学を出てノンフィクションの仕事に就き、4年に1年ほど異国の旅に出た。日本に帰ってきた後は再びジャーナリズムの世界に戻りノンフィクションを書いてきた。このインタヴューの頃沢木は31歳だったが、ノンフィクションの「方法」にこだわっていた。初期の沢木はさまざまの国で人と会い、「ぼく」の感じたさまざまなことを書く、というスタイルを取ってきたが、やがて「ぼく」という一人称を捨てて、徹底した取材による三人称で書くようになった。その段階の仕事の後には取材というものの危うさや脆弱さが気になりはじめ、一転して 「私」の経験したものだけで書く方法をとるようになる。31歳の沢木は、その過渡期の時期にあって、「一瞬の夏」を朝日新聞に連載することになり、最終執筆を伊豆の温泉宿で書いていた。そこで、「藤圭子引退!」というニュースを目にした彼は、強い衝撃を受けた。その数か月前に偶然圭子と会っていた彼は、ぽつりと「もうやめようと思うんだ」と圭子が言うのを聞いていた。伊豆でニュースを聞いた沢木は、その際に問い損なった「どうして?」の答を手に入れたいと思い、知人を介してインタヴューの約束を取り付けた。その準備をし始めた彼は、ノンフィクションのまったく新しい書き方を試せるのではないかと思い出した。

 いっさい「地」の文を加えずインタヴューだけで描き切る。タイトルは『インタヴュー』とする。本のもととなるインタヴュー以後も、事実の正確を期し、また細部に膨らみを持たせるため、最後のコンサートの行われた十二月二十六日まで、さまざまなところでインタヴューを重ねたという。

 その過程で、彼は圭子が語る話に強く心を動かされるようになった。その引退の理由には、沢木がジャーナリズムの世界から離れたときの思いに共通するものがあった。

 この『インタヴュー』と名付けた作品は、当初の予定をはるかに超え原稿用紙五百枚近いものとなり、翌年の五月に入って仕上がった。

 しかし落ち着いて完成した作品を読み返した彼は、果たしてこれでよかったのか?という疑問を持った。これから先、藤圭子が芸能界に戻って、歌うようにならないとも限らない。その際、この『インタヴュー』が枷にならないだろうか? 藤圭子という歌手が芸能界を去る本当の理由が、会話体だけで書き切られている

だが彼女の純粋な女性の姿を本当に描き得たか?ノンフィクションの「方法」のために、引退する彼女を利用しただけではないのか?

 沢木は出版社の担当編集者らに相談した。彼らは、ぜひ出してほしい、しかし沢木さんの迷いもよく分かる、そういう迷いがあるなら、発表はやめた方がいいかもしれない、いつか、きっと発表できる日が来ると思う、などと言ってくれた。そこで、彼は、手書きの原稿を一冊の本にしてもらい、『流星ひとつ』とタイトルを変えて、「長い時間付き合ってもらい、あなたについてのノンフィクションを書き、出版させてもらおうとしたが、出来上がったのはこの一冊だけでした申訳ないが、この時点での出版は断念しようと思います」 と、アメリカに渡った藤圭子に送った。彼女からは、自分は出版してもいいと思うが、沢木さんの判断に任せるという返事があった。

 1979年の年末にハワイに向った藤圭子は、翌春にはアメリカ西海岸に渡り、バークレーで英語学校に入っていた。その後沢木のもとに日常生活を綴る圭子の手紙が届き、秋にかけて友達とニューヨークに車で行くことなどが知らされた。追伸には「流星ひとつ」のあとがき、大好きです。とあり沢木は、いかにも「青春」の只中を生きているような幸福感あふれる内容、と嬉しく思ったという。

 やがて圭子は知り合った宇多田照實氏と結婚し、光を得た。宇多田ヒカルは音楽界にデビューし、圭子に勝るとも劣らない「時代の歌姫」として一気に「頂」に登りつめた。沢木は、藤圭子が望んだものの多くを手に入れたらしいと喜んだ。

 ところが八月二十二日の昼前、新宿のマンションからの投身自殺、沢木は圭子が精神の健康さを持っていたと思っていたため信じられなかったが、時も経っているので事実を受け入れるより仕方がなかった。

 その後、宇多田ヒカルの「コメント」が公式サイト上で発表される。

私の母は自ら命を絶ちました。 様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください。 彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。 幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。 母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。 誤解されることの多い彼女でしたが とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が速くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。 母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。」

 さらに離婚をした元・夫の宇多田照實氏の「コメント」が発表されるに至り、「謎の死」は、精神を病み、長年奇矯な行動を繰り返したあげくの投身自殺、という説明で落着することになった。

 と、沢木は感じて、彼の知る圭子が、それ以前の全てを切り捨てられ、あまりに簡単に理解されていくのを見るには忍びなくて、新潮社の関係者に残ったコピーを読んでもらう。内容も、方法も少しも古びていません。新鮮です」 「これを宇多田ヒカルさんに読ませてあげたいと思いました」という答を得て、出版するに至った。 ということで1.で紹介した文章「後記」末尾記が綴られてこの『流星ひとつ』は〆られている。[発行日:2013年10月10日]


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