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偶然、幸田文「流れ」の贈呈本

 

今日は私の玩物嗜好の話。売れっ子人種のように懐が豊かではないので、複写で価値を伝えられる物=印刷物、ポスターに惹かれる。例を挙げてみれば、ベン・シャーンの画集やピラネージの展覧会図録などである。


さて標題の話だが、「崩れ」の文庫本を読んだ後、決ってることだが、やはり「流れ」を読まなくては幸田文・文学はつかめない、と図書館から「幸田文全集第六卷」を借りてきて読んだ。


借りてきたときに、寄贈 大佛次郎 殿の判が押してあったので、氏が亡くなった後にこの本が彼の書架から鎌倉市図書館に贈られたもの、とは解かっていた。


「流れ」は一気呵成に読んでしまったが、その他に「くらしてゐること 随筆Ⅳ」が入っていたので、返さずに、「さまざまな足袋」や「気に入りの隅っこ」、「出入りぐち」、「表と裏」、「たべること」などを仕事の合い間に読んでいた。


そろそろ返却日が近づいてきたので、何とはなく本をパラパラめくったら、何と!大佛氏に寄贈した際の贈呈署名が、著者写真裏の白いページに書かれていたのである。

さらさらっと、 大佛次郎先生 幸田 文 と書かれたものを、幸田文の自筆はこうしたものか、としばし見入ってしまった。


奥付を見ると(当然だが)、幸田文全集第六卷(第一回配本)とあり、昭和三十三年七月五日に中央公論社から発行されたことがわかる。昭和三十三年といえば私はまだ高校三年生の頃である。


 このページには文さんの検印も貼ってあって、円く囲む忍冬唐草の中に古字体で文の字が大きく描かれている。検印の貼り紙は何時頃まであっただろうか?


 たぶん鎌倉市図書館には、こうしたお宝がぞろぞろと有るに違いないので、図書館には蔵書調べをする方がよいのでは、と言ってみようと思う。この全集にはまだ読み残しの随筆があるので、継続して借りることにした。


 最後に、「流れ」についての感想だが、幸田文ムックを見ればさまざまに述べられていて、私のものも屋上屋となるだろうから、この読書記では例外だが控えておく。あとは、映画を何れかの機会に観賞しなければならない。まさに、セカンドハンド読書記である。




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