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イアン・マキューアン「アムステルダム」

 あいかわらずセカンドハンド読書記である。図書館から借りた本は、1993新潮社発行3刷、訳者は小山太一。

 裏表紙に、98年度ブッカー賞受賞作品―才能と出世と女に恵まれた者は、やがて身を滅ぼす……。不完全な善人たちの滑稽と悲惨を描き、大人の小説愛好家を唸らせる、洗練の極みの長編。とあり、その下に養老孟司氏の感想がある、「アッという間に終わりまで読んだ。きわめて現代風。主題はなにかというなら、老年つまり落ち目の人生と死というしかない。登場人物をつなぎ、彼らの人生に意味を与えた女性はもはや死んで不在、女性を神に置き換えててもいい。その意味では、この世界は西欧の現代そのもの」 というような文が置かれていて、良い紹介となっている。

 さらには、「イアン・マキューアンじたいが、たぐいまれな現象ページをめくり続かせるすべを心得た恐るべき才能を持つ『アムステルダム』の核心は、マキューアンの厳しくて辛辣な知性そのもの」 などの紹介書評なども載せられている。

 本は主に作曲家と新聞編集者の日常を描きつつ、彼らの終末への軌跡を描いて行くが、終りに「アムステルダム」という都市名が題されたゆえんが分かってくる。

 会話や想いなどが次々と書かれて行くが、以下に読みはじめて比較的早いところで目に触れた文を紹介する。

 「ヴァノン(編集長)はデスクについてそっと頭をそっともんだ。最近ヴァーノンは、不在を抱えて生きるすべが身についてきたのを実感していた。もはやあまりよく思い出せないもの自己が失われたのを長いこと悲しんでもいられないというわけか。考えすぎといえばそれまでだが、そんな思いが数日のあいだ続いていた。そしていま、肉体面でも症状が出はじめていた。頭の右半分、頭蓋骨と脳内にわたるような、なんとも言いがたい感覚だった。あるいは、これまで日常的に慣れきって意識しなかった感覚が突然とぎれたのだろうか、雑音が止んだ瞬間にそれが意識されるように。ことの始まりは正確に思い出せた。おとといの晩、ディナーのテーブルから立ち上がったときだ。翌朝起きたときもその感じはあり、とぎれなく、名付けがたく、冷たいとかきついとか空洞とかではなくそれら全ての中間だった「死んだ」というの近いだろうか。右脳死んだ感じ……」 と、こんな具合である。

 あとがきで訳者は、作者へのインタビューに答えるマキューアン=作品誕生の辺の説明を紹介しているが、なかなか明解にこの本について分からせてくれる。

 言うまでもないと思うが、イアン・マキューアンは前にブログで紹介した「黒い犬」の著者である。


幸田文-贈呈本/献呈の書

  4月25日には、幸田文全集の扉辺に残された著者署名の話を記したが、その後出版社にscanブログ紹介の可否を確かめ、構わないだろうとなったので今日はそれらの画像を載せてみる。

   

    扉IMG_0004-軽.jpg  著者写真がぼけているのは、薄い和紙の挿入頁ごしにスキャンしたため。 左頁に 贈呈 大佛次郎氏殿 とある。

   献呈の書IMG_0006.jpg 扉写真ページ裏の白紙に献呈署名がある。

     IMG_0003のコピー.jpg    大佛次郎先生 幸田 文 とある。


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