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リューイン「神さまがぼやく夜」

 2015年1月20日ヴィレッジブックスより発行、待望のマイケル・Z ・リューイン作のユーモア小説である。本裏表紙には「万物の創生主、神は悶々としていた。ある計画を胸に下界に降りたものの、百年ぶりの世界はすっかり様変わりし、かつて自分に似せて創った人間たちはスマートフォンにタトゥーに脱毛、理解不能な進化を遂げていたのだ。そこで彼らを知るため夜ごと酒場めぐりを始めるが、男と女の関係はどうも複雑怪奇なようで……。ミステリーの名手が極上のユーモアで現代社会を風刺する意欲作」 と記されている。

 上の惹文句を少々補正すれば「著者の神に関する感覚はわれわれ八百万の神を戴く日本人とは異なる。全知全能の存在である神が初めて無邪気に創造したこの世界に関し、自らの創造にある疑問を感じ始めてからの悪戦苦闘=真面目に考え、行動することから顕れ出てくる、さまざまに面白い場面を最後にはこの世界の再生可能性も期待させて終る、話」。

 

 上記の内容を表わすような幾つかの描写を綴ってみよう。

 

最初の宇宙を創ったとき、私は正真正銘のビギナーだった。宇宙を埋め、広げるために用いた道具も技術もしっちゃかめっちゃかだった。

・・・「主よ、そういうことではございません」 「だったらどういうことなんだ?」私はいささか不機嫌になって髪を払った。同時に、サハラ砂漠で砂嵐が起きた。「それが――」とペトロは言った。「こういう場所がございまして……」そう言って手に持ったクリップボードを見た。「テキサスというところで…」

・・・「それでも、この問題に対処する時間を取ることはもう決めた。下界の人間の中に自分を溶け込ませることも。どんな対処をするにしろ、まず人間を理解しなければならないからね。彼らはどうしてテレビ番組のことしか考えていないのか。相手が誰であれ、自分たちと異なる者は誰でも殺さなければならないと考えているのか。あまつさえ、次の食べものはどこから来るかということしか考えていないのか」

 「主よ、次の食事か、病気のことか、人間の多くがこのふたつを考えているのは確かでございます。…」 「だから、時間を持ちながら、まともな振る舞いができないでいる現代人に、私は注意を向けようと思うのだよ。彼らこそ最も堕落した者たちだ。悪魔の甘言に一番誘惑されやすい者たちだ」

・・・「なぜなら為されるのは私の意志であって、おまえたちの意志ではないからだ。おまえたちの誰ひとり竪琴ので永遠そのものになることを望まないなら、もうそろそろそれぐらいの努力はしていい頃だ」 私は十ばかりの稲妻を放った。それはひとつの大地震、四つの地震、ひとつの火山の噴火になった。

・・・しかし、外は暑くてもバーの中は涼しかった。これまた私には人間の不可解なところだ。気候をより暑くする機械を使って自分たちだけ涼む。人間は何とも不思議なやり方を考えるものだ。

・・・が、そこで私は突然気づいた。進むコースが変えられない以上、闇の中に消えていくのは、増えつづける現代人の宿命であり、避けられない未来ではないか。

 さらに私は気づいた。私もまた悪夢に出てきたネズミの中にいることに。ネズミは現代人の代替物ではなかった。あのネズミこそ現代人だった。夢の中で私はまさにネズミだった。それは私が彼らのモデルだからだ。彼らが私に似ていれば私も彼らに似ているという道理だ。

 人間を創ったとき、人間には私の弱点もまた刷り込まれる可能性のあることなど考えもしなかった。私はそのことにも改めて気づいた。人間が発展すればするほど、私の性癖が重要な意味を持つかもしれないなどとは思いもよらず、人間を地球に送り出したことに関する夢だったのだ。

 「ほんとに?」 「ほんとに」 「正直に言うわね。ほんとに責任が持てて、自分のやれることを示せる職場って、それってもうわたしにとっては天国以外の何者でもないわ」・・・「基本給自体も相当よくないとね。――責任に見合ったものでないと……いいかしら、あなたの話からすると、あなたにはいっぱい考えなくちゃならないことがある。だから今日は名刺を渡させて、それで、あなたがわたしにやらせたいと思う仕事がわたしに合っているように思えたら、電話して」 と、バーで隣り合い神のモヤモヤを晴らしたゾーエは、現代のキャリアウーマンらしい言葉を吐いた。神は至極気に入った。

 そこから、自分の迷いが吹っ切れた神さまは、世界の改造へと進むことになる。ミステリーの名手の本の終り辺は、楽しんで読む方々のために伏せておくことにしよう。


「土人の唄」はしご読み

  酒が好きだった田村さんの本なので、はしご読みし、内容を留めておこう。

 冒頭に小林庸浩撮影の写真街の点景が数葉載る。

「駅」 …人は、なにかに駆りたてられるような気がしないだろうか。

「坂道」 本郷台と上野台のざまにある、ひっそりと民家と共存している小さな坂が、ぼくは好きだ。

「路面電車」 レールは曲がりくねり、坂をのぼり、また坂をくだる。町としたしげに会話をかわしたりして、ゆっくり走る。

「銭湯」 教会にかわるものは銭湯で、その湯上がりに居酒屋に行くから、日本文化はパブとパブでなりたっているから、欧米よりもはるかに高級だと、談じたことがある。

「露地」 人の道をゆったりと歩こうとするなら、露地を見つけ出して、猫や犬や植木鉢や金魚が人と共生している暮らしの匂いを求めるしかない。

「床屋」 文字どおり床張りで、スリッパにはきかえる。常連がのんびりとたむろしていて、近所の噂話をしている四季の鉢植えもさりげなく置かれていて、ドライ・フラワーなんか一本もない。

「芝居小屋」 芝居小屋が生きているのは、小さな町が生きている何よりの証拠。木枯らしさえ、小屋ののぼりにやさしく挨拶をおくる。

 

深い空間 

 鮎川信夫の『失われた街』という書物が刊行されるので、彼と対談することになった。東京は魔の都であると同時に、僕にとっても失われた街』なので、鮎川に鎌倉の自宅に来ていただいた。鮎川が鎌倉の谷戸の奥にあるわが家にやってきたのは、これが三回目。そして素面でお喋りするのは、四年ぶりである。鮎川と詩の青春時をともにし、ビルマ戦線で倒れた森川義信の「狂死説」と「戦病死説」を対極とする失われた街』を、ぼくがただ「書物」と表現せざるをえなかったことには、言外に深い空間がこめられている。

 いつか、ぼくが感受した「深い空間」について書いてみたい。

 夜は、鎌倉の「長兵衛」という居酒屋で、カキ鍋をサカナに浅酌する。それから鮎川は夜の中を帰っていったが、、「失われた」に挿入されている学生時代の森川義信の写真を眺めながら、固いベッドで、彼の詩を思いおこす――

 歩こう

 どこかへ行かねばならぬ

 誰も見ていない街角から

 むしろ侘しい風の方向へ

 実体のない街

 深い空間をまたぎ

 おびただしい車輪は戻ってきた   ――森川義信「虚しい街」

 

あの時の光

 不思議だった

 対岸に自分の影を見るように

 過去の同じ瞬間に再び立つように

 私は立ちつくし

 夜空の流れの彼方に

 瞬く星を見ていた

     ○

 雪のあとの冬空に

 輝くシリウスよ

 見上げるこの一瞬を

 永劫の夜空から射かえしてくるのか

 ―和田佐賀子詩集「7流星群」19601976の中の「星」という作品、冒頭2節のみ写す

 

 彼女の詩集をひらくと、群馬の草色の風と光と木々の葉のそよぎが読むものの心の中を走り去って行くだろう。そして、言葉は星になり、精神の夜空をみたしてくれるどろう。

 ・・・

 あの時の光が

 どこからともなく差し来て

 白い道に真昼の静けさを敷きつめ

 私たちは今海の方へ歩いてゆく

 

 どこかの店先の小さな旗だけが

 ひかりにはためいている

 明るい空洞のような道に

 動いているのはそれだけだ            「あの時の光」

 

言葉の領土へ

 

 詩にとってまず問題は「私とは何か」からはじまる。そうしないと「われわれとは何か」「人間とは何か」は出てこないのである。けっきょく詩を書くということは私のなかに人間を探しにいくということだろう。

 僕流に極言すると、人間存在は遺伝子と習慣と環境、この三つによって成り立っている。それらを複合させるものこそ言葉である。言葉をとってしまうと三者の複合がうまくいかず、バラバラになってしまう。

 詩はまず「私」を感動させるものだ。そうしなければ他者を感動させることはできない。自分を感動させればその自分とは何かというところに必然的に入っていくだろう。

 詩が言葉を使用しながら言葉を目的とするのは言葉がすなわち人間だからである。遺伝子と習慣と環境を結びつけるものだからである。


田村隆一「土人の唄」を読んでいる

 7月に入り御成の講堂問題がようやく動き出し、夏休み中にアスベスト含スレーを撤去し、とりあえず雨漏りのしない仮屋根を葺くことになり、その後に講堂をどう修復するかが焦眉の急になってきた。保全活用をめざす会も急遽830日にシンポジウムを開くことになり、その準備に、また甲斐大泉のミニ天文台の現場の最終処理追われている。そんな中、立ち寄った図書館で標記の本に出会った

 田村さんは「人を造形する」の終りにふれたが、晩年に鎌倉で格好良く酒を飲んで、われわれ相客を喜ばせる話をしてくれていた。保存・活用のように人毎に異なったイメージが有り、政治的な思惑も錯綜する問題に関するシンポの準備をはじめあれこれの話を進めているといつの間にか頭が硬直してきてしまう。そんなおり、田村さんのエッセイを読んだら頭をほぐされるだろうと、つい手が出てしまった。

 読み始めてみると、詩人特有の理屈/感覚/見通しなどが面白い。私の仕事や趣味に関係するエッセイが二篇並んであらわれた。内容は以下のようである。

 

ABC」(あなただったら、どんな雑誌をつくりたいかの問答)

 A 雑誌のタイトルは?:「蛇よ」にしたい。蛇のように慧くあれ、という聖書の言葉からのヒントを受けた

 B 編集方針は?:を中心とした都市空間の創造です。不幸にして、近代日本には、都市化現象はあっても、人間の生活をゆったりとつつみ、個人の内なる諸能力を活性化する「都市」を創造したためしがない。思想も詩も一過性のもので、ファッションにすぎない。 ファッションですら、画一的で、個性とハーモニイに欠けている。戦後四十年しかたっていないのだから、戦後のひらかれた社会とその文化の花が開くためには、すくなくとも、戦前派、戦中派がこの世から消失しなければならない。せめて、都市空間を耕し、種子をまくのが先行世代の仕事だ。その仕事を、雑誌を出すなら、毎月、創刊号を出すつもりで、やってみたらどうだろう。(以下「創刊号だけは売れる」 「グラビアばかりの号、8ポ三段組イラスト等一切なしの号」 「諸外国の政治家の危機に遭遇したときのステートメント、そのリズムと政治的意味の分析」 等々さまざまなイメージを挙げる)

 C 文学賞は?:毒蛇賞、青大将賞など如何? とにかく文化の花が開かなければ実も結ばないし、デカダンスもない、そんな文化は、都市化現象と同じように、文化化現象にすぎない。昭和四十年代生まれの大学生たちは、太平洋戦争で日本が勝ったと思いこんでいるのが多いそうだ。半導体からはじまる戦後「文化」のおかげで、アメリカは対日貿易赤字で苦しんでいるんだからね。

 

 1984年から85年にかけて「ユリイカ」に載せたものの一つだが、その頃の雑誌インタヴューに応える彼独特の姿勢、スタイルが窺えて面白い。われわれの世界で都市空間を言い出したのは1970年代のちょっと前だったが、この言葉を新鮮に人間化して使ってくれている

 

 次の「日本語の読める人間」は、D.キーンさんの「百代の過客」を読んでいて芭蕉の詩的体験の鮮やかさに打たれた話。(多賀城の「つぼの石ぶみ」の辺) ・・・とキーン氏は引用して、芭蕉が山河の永遠性を否定し、同時に永久に生い代わる木々に表れた永続性に疑問符を打つのを見て

、つぎのように書く『国破レテ山河在リ]の言を彼(芭蕉)は疑ったのである。多賀城もなく、それを取り巻いていた風光も、昔の姿を全く留めないのに、『壷の碑』は、今も見ることが出来る。同じように、そこに描写された景色はすべて、見る影もなく変貌したというのに、世に日本語の読める人間が存在するかぎり、『奥の細道』は残るであろう。(下線田村)

 

 詩人、俳人、歌人には言葉が命。 建築家、まちづくり人には都市空間が大事・・・か。


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