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沢木耕太郎『流星ひとつ』-結

  前ブログ(-2)の最後の台詞は、圭子のもの印象に残る台詞を選び次々記録してきたのだが沢木の、「切ったことが、口惜しいわけだ」という言葉に応えたものだった。このあと、幾つかこのブログに残しておきたい会話を記してから、沢木の「後記」に移ろうと思う。

 「あなたは、一度、頂に登ったよね。その頂には、いったい何があったんだろう?」  「何もなかった、あたしの頂上には何もなかった…そこには、もしかしたら、禁断の木の実というのかな、そういうものがあったかもしれないんだ。下の方で苦労しているような人には、ほんと涎がでるような実があったかもしれないの。でも、あたしには、とうていおいしい味のするものとは思えなかったんだよ。…」 「ものわかりのいい、いまふうの、いい女のふりをしてれば、幸せなときが長く続くかもしれないけど、でも、そんなわけには、いつもいかなかったんだ」  「男らしい考え方だ……」  「それ、褒め言葉のつもり?」  「最上級の、ね」  「あなたの引退をテレビで知ったとき、星、流れるって、思ったんだ」  「流れ星。あなたを、流星ひとつ、と声に出して数えてみたいような気がしてね」  「流れ星か……あたし、まだ、見たことないな」  「だって、あなたは旭川で育ったんでしょ…空は澄んでいたでしょ?」  「さあ……どうだったかなあ」   「あなたは、子供時代、何を見ていたんですかねえ」  「何も見ていなかったのかもしれないね」  「これだからなあ、ほんとに参りますね。インタヴュアーとしては……」  「それがあたしの子供時代だったんだから、仕方がないよ」  「このあいだ、札幌で仕事があったとき、友達とあって話したの。もう歌をやめようと思うって言ったんだ」  「彼女たちは、何と言ってた?」  「よかったね、純ちゃん、もう十分働いたんだから、今度は純ちゃんの好きなことしなよ、って。…仲よく暮していこうよ、って。よかったね、いいじゃない、って言ってくれた」「嬉しかったなあ、ほんとに」  「でも、帰らないんだろ?帰らないでどうするの?」  「ハワイに行くつもりなんだ」  「ハワイでどうするの?」  「勉強したいんだ……英語を習いたいんだ」  「…耳にとても気持ちがいいんだ。とにかくひとつのことに熱中して勉強してみたいから……英語が少しでもわかるようになれば嬉しいというぐらいだけど、いい機会だからハワイに行って学校に入って、やってみたいんだ」  「そいつはいい、ぜひ頑張るといい」  「ありがとう」  「あたしね、阿部純子と藤圭子ということで言えば、デビューするとき、藤圭子っていう名前をもらったとき、生まれ変わったと思ったんだ」  「そうだね、その二つの世界を往き来するなんて器用なこと、本当はできやしないんだよな」  「そうなんだ、だから、あたし、その二つのうち、どっちかといrば、藤圭子の方を大事に思いつづけてきたようなんだ・・・」  「とすれば、やっぱり、緊張した、あの藤圭子の煌きは、失われてしまうかもしれないな」  「それは違うよ、歌をやめても、キッチリと生きていけば、それが顔に出ると思うから平気だよ」  「そうか、それならオーケーだね」  「いま、かりに、あたしが煌いていたとしても、自分で駄目と思いながら、人に芸を見せているのはよくないと思うよ。やめるべきなんだよ」  「やめるとなると、さみしい?」  「十年もやれば、いいよね」  「そうだね。次の何かをまた見つければいいんだろうな」  「うん、そうする。また……何か……」  「それでいいさ」 と。そして、二人はインタヴューの終りを祝し最後のウォッカ・トニックを空ける。

 

 「後記」

沢木耕太郎は 大学を出てノンフィクションの仕事に就き、4年に1年ほど異国の旅に出た。日本に帰ってきた後は再びジャーナリズムの世界に戻りノンフィクションを書いてきた。このインタヴューの頃沢木は31歳だったが、ノンフィクションの「方法」にこだわっていた。初期の沢木はさまざまの国で人と会い、「ぼく」の感じたさまざまなことを書く、というスタイルを取ってきたが、やがて「ぼく」という一人称を捨てて、徹底した取材による三人称で書くようになった。その段階の仕事の後には取材というものの危うさや脆弱さが気になりはじめ、一転して 「私」の経験したものだけで書く方法をとるようになる。31歳の沢木は、その過渡期の時期にあって、「一瞬の夏」を朝日新聞に連載することになり、最終執筆を伊豆の温泉宿で書いていた。そこで、「藤圭子引退!」というニュースを目にした彼は、強い衝撃を受けた。その数か月前に偶然圭子と会っていた彼は、ぽつりと「もうやめようと思うんだ」と圭子が言うのを聞いていた。伊豆でニュースを聞いた沢木は、その際に問い損なった「どうして?」の答を手に入れたいと思い、知人を介してインタヴューの約束を取り付けた。その準備をし始めた彼は、ノンフィクションのまったく新しい書き方を試せるのではないかと思い出した。

 いっさい「地」の文を加えずインタヴューだけで描き切る。タイトルは『インタヴュー』とする。本のもととなるインタヴュー以後も、事実の正確を期し、また細部に膨らみを持たせるため、最後のコンサートの行われた十二月二十六日まで、さまざまなところでインタヴューを重ねたという。

 その過程で、彼は圭子が語る話に強く心を動かされるようになった。その引退の理由には、沢木がジャーナリズムの世界から離れたときの思いに共通するものがあった。

 この『インタヴュー』と名付けた作品は、当初の予定をはるかに超え原稿用紙五百枚近いものとなり、翌年の五月に入って仕上がった。

 しかし落ち着いて完成した作品を読み返した彼は、果たしてこれでよかったのか?という疑問を持った。これから先、藤圭子が芸能界に戻って、歌うようにならないとも限らない。その際、この『インタヴュー』が枷にならないだろうか? 藤圭子という歌手が芸能界を去る本当の理由が、会話体だけで書き切られている

だが彼女の純粋な女性の姿を本当に描き得たか?ノンフィクションの「方法」のために、引退する彼女を利用しただけではないのか?

 沢木は出版社の担当編集者らに相談した。彼らは、ぜひ出してほしい、しかし沢木さんの迷いもよく分かる、そういう迷いがあるなら、発表はやめた方がいいかもしれない、いつか、きっと発表できる日が来ると思う、などと言ってくれた。そこで、彼は、手書きの原稿を一冊の本にしてもらい、『流星ひとつ』とタイトルを変えて、「長い時間付き合ってもらい、あなたについてのノンフィクションを書き、出版させてもらおうとしたが、出来上がったのはこの一冊だけでした申訳ないが、この時点での出版は断念しようと思います」 と、アメリカに渡った藤圭子に送った。彼女からは、自分は出版してもいいと思うが、沢木さんの判断に任せるという返事があった。

 1979年の年末にハワイに向った藤圭子は、翌春にはアメリカ西海岸に渡り、バークレーで英語学校に入っていた。その後沢木のもとに日常生活を綴る圭子の手紙が届き、秋にかけて友達とニューヨークに車で行くことなどが知らされた。追伸には「流星ひとつ」のあとがき、大好きです。とあり沢木は、いかにも「青春」の只中を生きているような幸福感あふれる内容、と嬉しく思ったという。

 やがて圭子は知り合った宇多田照實氏と結婚し、光を得た。宇多田ヒカルは音楽界にデビューし、圭子に勝るとも劣らない「時代の歌姫」として一気に「頂」に登りつめた。沢木は、藤圭子が望んだものの多くを手に入れたらしいと喜んだ。

 ところが八月二十二日の昼前、新宿のマンションからの投身自殺、沢木は圭子が精神の健康さを持っていたと思っていたため信じられなかったが、時も経っているので事実を受け入れるより仕方がなかった。

 その後、宇多田ヒカルの「コメント」が公式サイト上で発表される。

私の母は自ら命を絶ちました。 様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください。 彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。 幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。 母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。 誤解されることの多い彼女でしたが とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が速くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。 母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。」

 さらに離婚をした元・夫の宇多田照實氏の「コメント」が発表されるに至り、「謎の死」は、精神を病み、長年奇矯な行動を繰り返したあげくの投身自殺、という説明で落着することになった。

 と、沢木は感じて、彼の知る圭子が、それ以前の全てを切り捨てられ、あまりに簡単に理解されていくのを見るには忍びなくて、新潮社の関係者に残ったコピーを読んでもらう。内容も、方法も少しも古びていません。新鮮です」 「これを宇多田ヒカルさんに読ませてあげたいと思いました」という答を得て、出版するに至った。 ということで1.で紹介した文章「後記」末尾記が綴られてこの『流星ひとつ』は〆られている。[発行日:2013年10月10日]


沢木耕太郎『流星ひとつ』-2.

 このころ、NHK紅白の選に漏れて、圭子は荒れた。「…だったらこっちにもNHKを拒絶する自由があるじゃない。そうしたら、事務所の人やレコード会社の人がみんなで来てね。…そんなことをしたら芸能界で生きていけない、と…こっちから尻尾を振っていく方がよっぽど耐えられないよ。…そこで爆発してしまったわけ。どうして、あなたたちには意地っていうものがないの、って」  「あたしがマネージャーだったら、そうするね。藤圭子という歌手の性格をよく知っている、頭のいいマネージャーだったら、そうしてたね。あたしは、そこでガッカリしちゃったの。ああ、みんな、その程度の考え方なのか、その程度の仕事なのかって」  「どんなことでも筋は通すべきだと思うんだ」  「たとえ、それでメタメタになっても?」  「そんなことで駄目になるようなんだったら、その人に力がなかったということだけだよ」  「それにしても……仕事の話になると、ほんとにきつい顔になるね、あなたは」  「えっほんと?」  「うん、ちょっと、怖いくらいの感じになる」  「フフフッ」  「しかし、紅白歌合戦自体には、何の魅力も感じなかったのかな、あなたは」  「うん」  このあと沢の井氏から離れて新しい事務所に入ったが、行きづまりは解消できなかった。

 沢木は阿木燿子・宇崎竜童のコンビによる〈面影平野〉を、すごくいいと思ったが、ヒットしなかったと話し、なぜヒットしなかったのだろうと聞く。それに圭子ははじめ「わかんないよ」と答えるが、「あたしにはね、あの歌がそんなにいいとは思えない」「わからないんだよあの歌が」「…すごくいい詞だと思う。やっぱり阿木燿子さんてすごいなって思う普通の人には書けないと思う。…」「心がわからないの」と述べる。  「心?」  「その歌が持っている心みたいなものがわからないの、…あたしの心が熱くなるようなものがないの。…自信を持ってうたえないんだ。…結局、わからないんだよこの歌が…」  「そうか、〈面影平野〉はあなたの心に引っ掛からなかったのか」  「そうなんだ、引っ掛からなかったの。だから、人の心に引っ掛かかるという自信がないままに、歌っていたわけ。それでヒットするわけがないよね」…「仕方ない、うん」 と沢木は引き下がるさらに圭子「…やっぱり、藤圭子の力が落ちたから、かもしれないんだ」  「もう……昔の藤圭子はこの世に存在してないんだよ」  「どういうこと?」  「喉を切ってしまったときに、藤圭子は死んでしまったのいまここにいるのは別人なんだ。別の声を持った、別の歌手になってしまったの……」  「無知なために……手術をしてしまったからさ」 と重大な発言があって、この章は終わる。

 

 「五杯目の火酒」では喉の手術をした経緯、感慨などが詳しく記される。デビューして五年目ぐらいにどうしても声が出なくなり、忙しいスケジュールを空けて入院し喉ある結節を切除した。 「……声は昔からよく出なかったんだ。…ふだん話すときもほとんど声を使わなかった・・・もったいないんだよ。人とおしゃべりする声があったら、歌う声に残しておきたかったから。…無口だと思われていたのは、それもあると思う。…出ないのが普通だったんだ。その声を貯めて、それを絞り出していたんだよね。だから、一週間休んで出なくなったときも、そんなに慌てることはなかったはずなんだ。すこし休んで、また声を貯めれば、それでよかったんだよね。ところが……切っちゃったんだよね。早く楽になりたいもんだから、横着をして、切っちゃったわけ」  「思うんだけど、あたしのは結節なんかではなかったんじゃないだろうか」  「その手術が、あたしの人生を変えたと思う。…引退ということの、いちばん最初のキッカケは、この手術にあるんだから……」 手術後のレコーディングで、「…いざ歌い出したら、高音のところで、針がとびそうなくらい振れすぎちゃったんだよ」  「みんな、おかしい、おかしい、と言い出して、もう一度やるんだけれど、同じなんだ。高音が、澄んだ、キンキンした高音になってしまっていたわけ。あたしのそれまでの歌っていうのはね、意外かもしれないんだけど、高音がいちばんの勝負所になっていたの。低音をゆっくり絞り出して……高音に引っ張りあげていって、……そこで爆発するわけ。そこが聞かせどころだったんだよ。ところが、その高音が高すぎるわけ。あたしの歌っていうのは、喉に声が一度引っ掛かって、それからようやく出ていくとこに、ひとつのよさがあったと思うんだ。高音でも同じように引っ掛かりながら出ていってた。ところが、どこにも引っ掛からないで、スッと出ていっちゃう。前のあたしに比べると、キーンとした高音になってしまった……歌に幅がなくなったんだ。歌というより音だね。音に奥行がなくなっちゃった…」  「厚味がなくなってしまった」  「そう、そしてレコードに力みたいなものがなくなってしまったわけ」  「つらいのはね、あたしの声が、聞く人の心のどこかに引っ掛からなくなってしまったことなの。声があたしの喉に引っ掛からなくなったら、人の心にも引っ掛からなくなってしまった……歌っていうのは、聞いている人に、あれっ、と思わせなくちゃいけないんだ。…あれっ、と立ち止まらせる力が、あたしの声になくなっちゃったんだ」  「確かに、ある程度は歌いこなせるんだ。人と比較するんなら、そんなに負けないと思うこともある。でも、残念なことに、あたしは前の藤圭子をよく知っているんだ。あの人と比較したら、もう絶望しかなかったんだよ」  「…それは理屈じゃないの。あたし自身がよくないって思えるんだから、それは駄目なんだよ。だいたい、あたしが歌ってて、すこしも気持がよくないんだ」  「微妙なものなんだね、声っていうのも」  「そうなの。それなのに、そこにメスを入れっちゃったんだ。…本当はね、あたしの声が変わっちゃった、駄目になっちゃったということを、いちばん早く知ったのは、お母さんだったんだよ」  「…舞台の袖で聞いていたお母さんが、傍にいる人に訊ねたんだって、純ちゃんの歌をとても上手に歌っている人がいるけど、あれは誰かしらって、って。その人が驚いて、何を言っているんですお母さん、あれは純ちゃんが歌っているんじゃありませんか……お母さんは耳を澄ましてもういちど聞いたらしい。でも、そう言えば純ちゃんの歌い方に似ているけど……としか言えなかったんだって。お母さんは、その話を、最近になるまで教えてくれなかったんだけど、ね」  「一生懸命歌ってきたから、あたしのいいものは、出し尽くしたと思うんだ。藤圭子は自分を出しつくしたんだよ。それでも歌うことはできるけど、燃えカスの、余韻で生きていくことになっちゃう。そんなのはいやだよ」 沢木の本<敗れざる者たち> を例にとって「一度頂上に登ってしまった人は、もうそこから降りようがないんだよ。二つしかその頂上から降りる方法はない。ひとつは、転げ落ちる。ひとつは、ほかの頂上に跳び移る。この二つしか、あたしはないと思うんだ。」  「あなたは、勇敢にも、どこかに跳び移ろうとしているわけだ」  「うん」  「どこへ跳ぶの?」  「女にとって、いちばん跳び移りやすい頂っていうのは、結婚なんだよね。それが最も成功率の高い跳び移りみたい。でも、あたしにはそれができそうもないし……」  「じゃあ、どこに跳び移るの、結婚じゃないとしたら」  「笑わないでくれる?」  「もちろん」  「勉強しようと思うんだ、あたし」 という具合に話は進み、次の「六杯目の火酒」では、見る夢の話から、子供の頃やデビュー前の話、芸人の気持ちなどが語られた後、「デビューした頃のあなたは、無心で、しかもオドオドしていたんだろうな。それは……本当は……そんなに一致するはずのもんじゃないけど、それを共存させるものが、あなたにはあったわけだ」という沢木の感想が引き出され、さらに「あなたはもしかしたら、お母さん以外に、慣れた人間がいないんじゃないんだろうか。あなたという小動物が慣れた人間は、ひとりもいないんじゃないのかなあ。」と言われ、また、干支もうさぎと知られる。

 それから、「あたしは、お父さんが、ほんとに怖かった」  「カッとすると、何をするかわからない人なんだ。子供たちはみんな怯えてた。お母さんも、みんな怯えていた」ことも語られる。

 そして両親の離婚、その後の父親とのつき合い方なども語られ、最後に母親が圭子の歌を聞くのが大好きなのだが、手術後の歌には前ほどゾクッとしないようだ、などが語られ、また「会場に行くと、お手伝いさんと一緒に、チョコンと座席に座っていたりして。でも、あれはどうしてだろう、お母さんの姿が見えると、ジーンとして、歌いながら胸が熱くなってしまうんだよ」などの言葉が出て、次の「七杯目の火酒」に移って行く。

 そこでは、圭子の周りの事務所の営業や経営、金銭感覚、私生活の様子、男関係などが話されて、結婚を考えたこともあったなど、が明かされる。その中で印象に残る会話は、「……そうなんだ。あたし、ヒステリーを起こしたんだよね」  「あなたみたいな人でも、人並みにヒステリーを起こすんですか?」  「起こすんですよ、これが。すごいヒステリーを起こしちゃった」  「お母さん……びっくりしたんだって。血の気が引くような思いをしたんだって。そのヒステリーの起こし方がとてもお父さんに似ていたらしいの。そっくりだったんだって。ああ、この子にもやっぱり、あのお父さんの血が流れているんだろうか……」という部分だった。

 

「最後の火酒」 :もう一気にブログ紹介も終わりにしよう。 引退の、「記者会見じゃ、みんなからギャーギャーやられた?」  「そうでもなかったよ」  「テレビでみると、せきこむようにしゃべっていたようだったけど、上っていたのかな」  「どうだろう。あとでVTRを見てみると、どういうわけかニコニコ笑ってるんだよね」  「そういえば、テレビのキャスターが、こういう場面には涙がつきものなんですが、とか不満そうに言ってたなあ」  「新栄の社長がね、自分は反対していたが、こうして引退するということになってみると、むしろ嬉しいと言ってくれたの」  「その場で?でも、それはどういう意味?」  「社長はね、やっぱり引退は思いとどまらせようとしていたわけなの。だから、前から一度ゆっくり食事をしながら話し合おうと言ってたんだけど、いろいろの都合で会えないうちに、こんなふうになってしまったわけ。引退発表をしてしまえばおしまいだから、社長も迷ったと思うんだけど、こう考えたんだって。別にうちをやめてよそのプロダクションに行くというわけでもないし、歌手というのはいつまでもダラダラ歌っていって、みじめになっていつやめたかわからないような消え方をするのが普通だ。でも、純ちゃんみたいにまだまだ歌えるのに惜しまれながらやめていくなんて、こんな幸せなことはない。みんなそうしたいけど、できないままにぼろぼろになっていく。それなら拍手をして送り出そう、ってそう言ってくれたわけ。おめでとう、って」  「それはよかったね。少なくとも事務所の人たちは理解してくれたわけだ」  「まあ、ね」 

 記者会見後数日経って、タクシーに乗って、「運転手さんは個人タクシーのおじいさんだったんだ。降りる間際に、急に言い出したんだよね。あの、歌い手の藤圭子っていう子も引退するらしいけど、無理ないよな、やめさせてあげたいよな、って」  「あなたが藤圭子だっていうことを知らずに?」  「うん、ぜんぜん気がついていないの。あの子がやめたいっていうのは無理ないよな、ってあたしに話しかけるんだから」  「へえ。でも、それは嬉しかったね」  「うん、嬉しかった、とても」 

 以下、前川との関係 「前川さんはいいひとだよ、それに歌も抜群にうまいよ、あたしはそう思ってる。」  「日劇で歌を聞いて、そのあとで、前川さんと何か話したりしたわけ?」  「話したよ」  「どんなこと?」  「いろんなこと。あたしはもう歌をやめるつもりだとか……そのこと、まだ発表してない頃だったから」  「そんあことまでしゃべったの?」  「うん」  「そうしたら、彼は何と言った?」  「それはよかった、って」  「祝福してくれたわけなのね」  「前川さんはね、以前からやめろといっていたの。おまえは芸能界にはむかないからって」  「そうなのか」  「だから早くやめろといったろ、って言われちゃった。でも、あのときはそうはいかなかったんだよ」  「あのとき?」  「結婚したとき」  「なるほど、そうか、前川さんは結婚するとき、引退して家庭に入れと言ったのか」  「でも、あのときは家族のこともあったし。ようやく引退しても何とかやっていけそうになったからなんだと言ったら……困ったことがあったら、何でもぼくに相談しに来いよと言ってくれて……嬉しかったな」  「それは、よかったね」  「そのとき、前川さんにね、ぼくと別れてからあまりいいことなかったろ、と言われたから、うんと答えたんだ」  「そんなこと、正直に答えたの」  「だって、本当のことだから仕方ないよ」  「馬鹿正直ですねえ」  「ぼくと別れてからロクな男にぶつからなかったろ、と言うから、それもうんと答えた」  「前川さんの方が、ずっといい男だった?」  「うん」  「目がないあたしが悪いだけ」  「そういうのを、男運がないと言うらしいよ、世間では」  「うん、そうなんだ。いままでは、どうしても、芸能界の人しか知り合う機会がなかったけど……」  「これからは、違いそう?」  「うん、そう思っているんだ。大いに希望を持っております、なんてね」  「聞けば聞くほどやめる必要はない、と思うんだよね。もっと聞きたい、というかな。繰り返しの愚痴になるけど、続ければいいのに」  「いい加減な決心じゃないつもりだよ、あたし」  「それはわかってる。だからこそ、さ」  「いや、ここまで突きつめて、自分が決心したことだもん、戻れといっても戻れないよ、無理だよ」  「でも、歌を歌うには確かに口惜しいことだけど、切ってよかった、だから歌をやめてよかったという人生がこれから送れるかもしれないし……

 

 ・・・ 終りたい、と思ったが終れなかった。 結びをどこかで書かないといけないだろうなあ


沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社 2013年刊)-1.

 このところ毎朝読む新聞小説が沢木のもので、そのタッチの明るさ・爽やかさが気に入ったので、何かもう一冊、と図書館で探したら標題の本が見つかった。はじめは、キャパを描いた本があった筈と探したが、そちらは貸し出されていたため、このタイトルだけで借りてきた。

 家で開いてみたら何と藤圭子へのインタビュー記録だった。実は彼女が引退した年1979年に行ったインタビューを一まとめしたものだが、そのまま公刊するのに作者が疑問を持ち保留していた。その後彼女の自死を知り、また発表された宇多田氏やヒカルのコメントなどにはあき足らず、藤圭子の稀有な心の素直さや清潔さなどを伝えたい、と思い立ち出版されたものだった。沢木と圭子の感性がみごとに触れ合い、各ページに彼女の真の姿・人生軌跡などが印象的に浮かび上がってくるインタビュー記である。

 本の末尾、沢木は[この作品で取り上げた主人公について、本文ではいっさいその外貌が描かれていない。…しかし、その制約がなかったとしても、私にその美しさを描き出すのことができたかどうかわからない。しかも、美しかったのは「容姿」だけではなかった。「心」のこのようにまっすぐな人を私は知らない。まさに火の酒のように、透明な烈しさが清潔に匂っていた。だが、この作品では、読み手にその清潔さや純粋さが充分に伝わり切らなかったのではないかという気がする。私はあまりにも「方法」を追うのに急だった。だからこそ、せめてタイトルだけは、『インタビュー』という無味乾燥なものではなく、『流星ひとつ』というタイトルをつけたかったのだ。それが、旅立つこの作品の主人公に贈ることのできる、唯一のものだったからだ。]と記した。

 

 インタビューは79年の秋にホテルニューオータニの40階にあるバー・バルゴーで実施された。本の目次によれば、会話は 「一杯目の火酒」、「二杯目の火酒」、「三杯目の火酒」、「四杯目の火酒」、「五杯目の火酒」、「六杯目の火酒」、七杯目の火酒」、「最後の火酒」と進んでいき、作者の問いや感想にほだされ、答えつつ彼女の人生・生活・男女関係・心模様などが明かされて行く。二人が注文したのは、レモン付きウォッカ・トニックである。

 「一杯目」ではまず、週刊誌等の通り一遍の質問しか出てこないインタヴュウ―の馬鹿らしさに嫌悪が示されるが、作者は彼女の話を熱心に聞こうと「すぐれたインタビュアーは相手さえ知らなかったことをしゃべってもらう」と言うが、「知らないことなんかしゃべれないよ」と返される。…「とにかくあなたが、芸能界を引退するのは確か十年間、いろいろと生きてみて、どうでした?」には、「やっぱり面白かったと思うな。見ようと思っても誰でも見られる世界じゃないしね。面白かったよ」と言う。そして引退するのは、「歌手とは違う人生を生きてみたいっていう…でも、それじゃあ、どうしても信じてもらえない…誰も人のことなんか、本当にはわからないんだ」と言う。続いてさまざまと、メディアや芸能界の人々の固定した、地の悪い見方が語られる。

…あなたは、まことに凄まじい時間をくぐり抜けてきた人なんですね」 「別に大したことじゃないよ、読まなければ腹も立たなくなるよ、そのうち…前川さんと離婚した時も、絶対に読まないって決めていたの。…」「(ある筈のないようなことが―)いつか本当のように言われたりするんだ」―嘘をつくのがいやで、いつも本当を語ってきたので、「お母さんが目が見えないということも、両親が旅芸人の浪曲師だったってことも、みんな本当のことだから恥ずかしがることはないと思ったし、貧乏だったということも、あたしが流しをしてたってことも、みんな本当のことなんだから、恥ずかしくないと思ってた。でも隠しておくべきだったんだろうな……」 …「たとえばさ、あたしの歌を、怨みの歌だとか、怨歌だとか、いろいろ言ってたけど、あたしにはまるで関係なかったよ。あたしはただ歌っていただけ」…「何を考えながら歌っていたのかな」 「何も」 「何も?」 「ただ歌ってた」 「何も考えずに、何も思わずに?」 「うん」 「…何も考えてなんかいないのに。親子二代なんだよ、この顔は」 「親子二代とは面白い。……いつも楽屋なんかではどうしているの?」 「黙ってる」 「どうして?」 「つまらないから」 「…本を読んでるか、寝てるか、付き人の艶ちゃんと少し話すか……」 引退→「別に、何でもないよ。……でも、とにかく、いくらお金がなくても、平気、あたしは」

 このあと昔沢木が偶然、パリのオルリー空港ではじめて圭子らと出会った辺の話が挟まった後、「二杯目の火酒」へと移り彼女の生い立ちがいろいろ語られる。破天荒な父親のことや母さん子だったことなどが話題に上がり、次の「三杯目の火酒」へと進む。

 そこでは八洲秀章の勧めで、旭川の中学を卒業しそのまま東京に向かい、母親と共に西日暮里にアパートを借り暮しは

じめてからデビューまでの日々、彼女を売り出した沢の井氏との出会い、金はまるでなかったが結構楽しく暮らしていたことなどが語られる。その先にRCAからのレコードデビューが来る。

「女のブルース」…「冴えておりましたね、石坂まさを氏、は」 「そうなんです。冴えていたんです。‐何処で生きても 風が吹く  何処で生きても 雨が降る  何処で生きても ひとり花  何処で生きても いつか散る‐ほんとに……何処で生きたって、いつか散るんだよね……」 「ぼくは、やっぱり〈女のブルース〉で好きになったんだろうな藤圭子が。しかし、どうして、すぐ追いかけるように〈圭子の夢は夜ひらく〉を出してしまったんだろう」 「〈女のブルース〉が最高に売れているとき、〈圭子の夢は夜ひらく〉を出してしまったから、歌えなくなっちゃったんだよね。〈女のブルース〉が。…もっと歌いたかったけど、短かったね。普通の人にとっては…どちらかといえば、印象が薄いらしいんだよ。それが、とっても残念なんだ」 「〈夢は夜ひらく〉の二番の歌詞、あるでしょう? ‐十五、十六、十七と  私の人生暗かった  過去はどんなに暗くとも  夢は夜ひらく‐ この歌詞に抵抗感はなかった?」  「なかった」  「これ、自分のことを歌っているとは思わなかった?」  「思わんかった。ただの歌の、ただの歌詞だと思ってた」  「でも、聞く人は、その歌詞をあなたそのものに投影して、感動してたわけだよ」  「人がどう思おうと関係ないよ」  「食べて、生きてこられたんだもん、それが暗いはずないよ」  「あなたは……実に意地っぱりですね。呆れるというより、感動するくらい」  「フフフッ。そんなに意地っぱりかなあ、あたし」  「それがあなたの身上なんだろうな。それがあったから、あなたは藤圭子になりえたんだろうから。…」  「昭和四十四年の九月に藤圭子は〈新宿の女〉でデビューして、四十五年の二月に〈女のブルース〉、四月に〈圭子の夢は夜ひらく〉、そして七月には〈命預けます〉まで出している。四十五年というのは、あなたにとって、本当にすごい年だったんですね。〈命預けます〉だって、悪くない歌だもんね」  「そうだね」  「これも、石坂まさを作か、……。藤圭子という素材を得て、持っているものが一気にバッと爆発したんだね、石坂まさを、こと沢の井さんも。わずかその一年のあいだに、ね」  「そう、一挙に花ひらいたんだろうね」  「それが過ぎて……枯れてしまったというわけか」  「そういうことなのかなあ」…「しかし、一九七〇年というと、ぼくが大学を卒業する年だったけど、ほんとに、この年はあなたの〈圭子の夢は夜ひらく〉の年だったなあ。 ‐前を見るよな 柄じゃない  うしろ向くよな柄じゃない  よそ見してたら 泣きを見た  夢は夜ひらく‐ これを聞くと、ぼくにも、よぎるものがある。何だか、はっきりはわからないけど、体の奥の方から泡立つようなおのがある」  「そう……」

 「四杯目の火酒」では、まず前川清との結婚・離婚、前川との友達性の強い関係、彼を尊敬ることなどが語られる。彼との結婚は沢の井に営業ネタで週刊誌に売られた結果で、前川のことは兄のように感じていたという。

 その後、「あたし、二つの歌を殺してしまったんだ。自分の歌を自分の手で。とても素晴らしい歌を、自分の手で死なせちゃったの。生まれてまもない……歌が歌手の子供だとすると、自分の子を殺してしまったわけ。駄目だよね。歌手としては、なっちゃないよね。ほんとに馬鹿だよね」と言う。ひとつは〈恋仁義〉、前川と婚約している時期、惚れていながら身を引く心、という歌詞が白々しすぎると感じ歌えなかったという。知られている曲でもないのに、今でも聞く人が喜んでくれる歌だった。もう一曲は〈京都から博多まで〉に続く、阿久悠作詞の第二作〈別れの歌〉、これは歌を出して一か月後に前川と離婚してしまい、「いかにもぴったりしすぎるじゃない。〈別れの歌〉だなんて。そんなこと思いもしなかったけど、宣伝用の離婚だなんて言われて、口惜しくて口惜しくて、それならもう歌いません、という調子で歌うのをやめてしまったの」  「馬鹿ですねえ」  「ほんと馬鹿なの。でも、やっぱり私には歌えなかったよ。だって、四番なんて、こんな歌詞なんだよ。 終着駅の 改札抜けて  それから後は 他人になると云う 二年ありがとう しあわせでした…… 後見ないで 生きて行くでしょう こんな歌詞を、離婚直後に、沢木さんだったら歌える?」  「どうだろう」  「歌手だったら、プロの歌手だったら、絶対に歌うべきなんだろうけど。あたしは駄目だった。駄目だったんだ……」  「結婚と離婚という、女性にとっての曲り角に、そういう歌がやって来るという巡り合わせになってしまったところに、あなたの歌手としての運命があったんだろうな。なにも、そんなときに、よりによって、そんな歌が、しかもそんな歌詞で、できてこなくてもいいわけだからね。それに、あなたがそんなあなたじゃなければ、それを歌い続つづけて、大ヒットさせたかもしれないしね」  「その二曲を殺さないで歌ったからといって、ヒットしたかどうかはわからないけど、残念だなあ、もっと歌いたかったなあ、歌っておけばよかったな、という思いはあるんだよね」

 離婚の後にはぶらぶら遊んでいて、その間に両親の離婚があり、ここでも週刊誌にいろいろと書かれたが、よく耐えて、頑張ってきた。「あたしはね、ただお母さんとお父さんを離婚させてあげたかっただけなの」  「お母さんの望みだったから」 -続く-



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